『鉄道員(ぽっぽや)』をはじめ、高倉健氏が主演する数々のヒット作を世に送り出してきた巨匠、降旗康男氏が5月20日鬼籍に入った。『高倉健ラストインタヴューズ』(プレジデント社)の取材などで降旗監督と親交のあったノンフィクション作家・野地秩嘉氏の追悼文をお届けしよう――。

高倉健さんの「たったひとりの友人」

高倉健さんは親しくなったら、人を「ちゃん」付けで呼んだ。沢木耕太郎氏のことは「沢木ちゃん」と呼んだし、わたしも「野地ちゃん」と呼ばれた。

そして、さらに親しい人たち、身内になったら、呼び捨てだった。札幌にある寿司店「すし善」社長の嶋宮さんのことは「おい、嶋宮」と呼んでいた。高倉さんは嶋宮さんが好きなんだなとわたしは感じた。

降旗康男監督(撮影=山川雅生)

そうして、呼び捨てよりもさらに上位の人がひとりだけいた。それが「カントク」と呼ばれていた人だ。降旗康男さんである。高倉さんは時に「降さん」とも呼んでいたけれど、わたしがそばにいた時はつねにカントクと呼んで、楽しそうにふたりで話していた。

高倉さんにとっての「カントク」はたったひとりの友人だった。他にも「親友」とされる人はいたけれど、高倉さんが仕事のこと、家庭のこと、その他もろもろの人には言えない話をしていたのは降旗さんだけだったと思う。

美空ひばりさんに「バン」をかけられていた

ある時、わたしは質問した。

「どうして、高倉さんと親しくなったのですか?」

カントクは「僕は(美空)ひばりちゃんから救い出す役だったからね」と答えた。

「健さんはひばりちゃんの相手役をやっていて、撮影が終わると横浜のひばり御殿に連れていかれる。そこで、お父さんが作った寿司を食わされるんだよ。つまりね、バンをかけられたわけ」

「バンをかける?」

「あれ、知らないの? 今風に言えば、ナンパされるってことかな」

「美空ひばりさんが高倉さんをナンパした?」

「そう、健さんはまだ江利(チエミ)さんと結婚する前だからね。それはそうと、健さんはひばりちゃんのバンを払いのけたくて、同席していた僕を見るわけ。助監督だった僕は『すみません、撮影所に戻ります』と頭を下げて、健さんとふたりで東京に戻る」

「一度だけですか?」

カントクは首を横に振った。

「撮影の後は、ほぼ毎晩かな」