カントクの家の向かいに住んでいた
カントクの話はいくらでもできる。取材で会ったこともあるけれど、わたしは数年間、カントクの家の向かいに住んでいた。散歩のときに出会って、「飲みに行きますか?」と誘うと、「ええ」とOKしてくれた。たいていは学芸大学の近くの居酒屋、寿司屋、焼鳥屋だった。家まで迎えに行くと、革のジャケットとジーパンという格好がほとんどで、しかし、なぜか足元は下駄だった。カランコロンと音をさせるカントクとふたりで酒を飲みに行った。
家に呼ばれたこともある。
「森伊蔵があるよ」「カンパチを送ってきたから」とごちそうになった。
何かお礼がしたいと思ったわたしはカントク夫妻と出会うたびに、次のような挨拶をくり返した。
「革のジャケットとジーパンで旅立った」
「奥さん、おきれいですけれど、やっぱり撮影中に出会ったんですか?」
「ん」
「女優さんでしょ?」
奥さんは「いやだ―」と言って、朗らかに笑う。カントクは頰を緩めるだけで、ひとこともしゃべらない。
奥さんは作家のお嬢さんで、女優ではないのだけれど、わたしは出会うたびにしつこく「やっぱり女優さんですよね」とお約束で、そう言った。
もうそれができなくなった。
亡くなったと聞いた日にお宅へ伺ったら、奥さまが「革のジャケットとジーパンで旅だった」と教えてくれた。下駄は履いてなかったようだ。仏壇に線香はあったけれど、戒名もなく、花と写真だけだった。「香典は絶対に受け取るな」と言っていたとのこと。そして葬儀もせず、骨は散骨する。散骨するには抽選に申し込まなきゃいけないらしく、カントクは「今年になってやっと当たった」と喜んでいたという。
カントク、そうなんだ。そういう好みだったなとあらためて思った。(敬称略)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。