革命に必要な「知行合一」の精神

心を奮い立たせる三カ条

だが、松陰は思想家であり教育者だっただけではない。革命家としての資質も十二分に持ち合わせていた。私はそれを彼の“現場主義”の生き方に感じる。「ことおこればことあるところへ行き、ことをなすより外はなし」というのも松陰の言葉だ。

松下村塾には「飛耳長目(録)」という冊子があった。情報収集の大切さを知っていた松陰が、門弟たちに見聞を広めることを勧める。それを実行した弟子や村塾を訪れてくる全国の志士たちが「ここではこんなことが起きている」ということを書き記したメモ帳である。

松陰は、それだけ先端の情報というものに敏感だった。欧米列強を相手に独立を守るために強い国をつくらなければ、自分の身はさておき、塾の門弟や同志たち、長州藩、さらには日本さえどうなるかわからないという危機感からだろう。

巧みな情報収集術は行動力にも通じていった。松陰は陽明学に傾倒していた。この学問の特徴は“知行合一”にある。私は、この言葉を自分のすることすべてが、その人そのものというふうに捉えることだと解釈している。必然的に緊張した生涯を送らざるをえない。往々にして、非業な死を遂げることも少なくない。

そして冬――。

再び江戸へ移送された松陰は、江戸の伝馬獄に置かれる。最晩年の和歌で「呼び出しの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな」と詠む。なすべきことはした。もはや、獄吏が処刑を告げるのを待つばかりだと……。

維新回天の礎となった松陰だが、もし彼が現代に生きていたとしても、超一流の活躍をしたことだろう。それは、実務をわきまえた思想家であり、革命家でもあるという類まれなリーダーとしての資質を持ち合わせているからである。

みずから率先して戦略を練り、計画を遂行していく。しかも、後継をきちんと育てる。トヨタ、ソニーにも負けない優良企業を創造したに違いない。

(岡村繁雄=構成 大杉和広=撮影)