『坂の上の雲』の新聞連載が始まったのは70年安保の前だったと記憶している(産経新聞夕刊 1968.72年)。当時、爆発的な人気を博し、私も新聞はまだこないかと毎日が待ち遠しかった。
この作品が国民の圧倒的な支持を受けた理由は、国民が飢えていたものを司馬.太郎さんが配給し、教育してくれたからだろう。その頃の日本は大東亜戦争の敗戦のどん底から立ち直り、オリンピックを開催するところまで国力を取り戻した。経済的には欧米の一流国に追いつき、いよいよ次は国際的な地位の獲得を目指して日本は階段を上りつつあった。
鳩山(一郎)さんが旧ソ連との国交を回復し、岸(信介)さんが安保条約を改定し、池田(勇人)さんが所得倍増で国民の富を増やし、佐藤(栄作)さんが韓国との国交を回復し、その後は田中角(栄)さんが中国との国交を回復した。私は国権の回復と言っているが、まさに戦後の上昇期の真ん中で日本が坂の上の雲を目指して駆け上がっていた時代である。
敗戦後の日本は、明治の日本人が封建体制から脱却して欧米に追いつこうと、力を振り絞り、国を挙げて努力した姿とよく似ている。国民読者は司馬遼の文章に、自分たちと似た境涯の明治の日本の熱気や教訓を感じて大いに激励された。
それまで自虐史観が割合にジャーナリズムを覆っていたが、『坂の上の雲』が登場して日本の民衆は何とはなしに青空を見出したような、晴れやかな気持ちを覚えたのでないか。坂の向こうの青空にひとすじの希望の雲がたなびく、そんな雰囲気を与えてくれたように思う。
日露戦争の経緯や日本海軍の黎明期が精緻に描写されているが、私自身の海軍奉公時代を懐かしんで読み続けた。それと共に秋山好古、真之兄弟が抱いていた青雲の志がいつしか国家的志に重なってゆく明治という激動の時代と、我々が今生きている昭和という時代を対比して見る気持ちが強くあった。
司馬さんは『坂の上の雲』を書き終えたときに、もうこういう政治小説的なものは筆を絶つと言ったらしい。司馬さんは日露戦争に勝つまでの日本人を贔屓にしていた。日露戦争に勝ってから日本も日本人もダメになったという。そういう時代まで筆を延ばす気はない、と。私には司馬さんの心境がわかる気がする。近代日本が興隆してゆく明治という時代は人々の国家に対する情熱とエネルギーに満ち溢れていた。その群像を描き切ったとき、彼自身のエネルギーも使い果たしたのではないか。