吉田松陰:1830~59。長州藩・萩に生まれる。54年、海外密航を企て失敗、幽閉される。その間松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋らを育てる。59年、安政の大獄により刑死。
上意下達ではなく慈しみの心で接する
昭和50年代の初め、NHK大河ドラマで、司馬遼太郎原作の『花神』が放映されていた。明治新政府の軍制の父・大村益次郎を描いた物語である。その中で、篠田三郎さんが好演する吉田松陰に惹かれ、最初に読んだ司馬さんの作品が『世に棲む日日』だった。
作品を読むうちに、出雲神話に登場する“因幡の白兎”ではないが、毛をむしられて震えながら立っているような、純粋無垢な松陰の姿が浮かんできた。戦前、吉田松陰はある種神格化された存在だった。そこに人間味のある新たな像を提示したという意味では画期的な作品で、私が一番好きな司馬さんの小説だ。
やがて、司馬さんへのあこがれは、新聞記者への道をめざすことにつながり、私は産経新聞に入社した。産経に入る人は大なり小なり、司馬さんという“大先輩”を意識している。まだ若かった頃の私も大それた夢を持っていた。いつか彼を手本にして、『世に棲む日日』の松陰のような英雄を描いてみたいと……。
松陰は人生を四季にたとえた。
その人が10年生きようが、20年生きようが、また100年だろうが、基本的には変わらない。それぞれに季節は備わっているというのだ。
「春に種まき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬に貯蔵する」
春と夏――松陰は順風満帆だった。
4歳で、長州藩兵学師範の養子となり、10歳で藩主の前で初講義を行う。九州、江戸に遊学し、他藩の志士たちとの交友を深めていく。