石田三成:1560~1600。近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市)生まれ。豊臣秀吉にその俊敏さを認められ、治部少輔に叙任される。秀吉の死後、1600年、関ケ原の合戦で家康に敗れ、処刑された。
<strong>早稲田大学大学院客員教授/ANA歴史大使 松平定知</strong>●1944年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、69年NHKに入局。高知放送局を経て、東京アナウンス室勤務。2007年にNHKを退局。『連想ゲーム』『モーニングワイド』『その時歴史が動いた』など数々の看板番組を担当。『NHKスペシャル』は100本以上を数える。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』などがある。
早稲田大学大学院客員教授/ANA歴史大使 
松平定知

1944年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、69年NHKに入局。高知放送局を経て、東京アナウンス室勤務。2007年にNHKを退局。『連想ゲーム』『モーニングワイド』『その時歴史が動いた』など数々の看板番組を担当。『NHKスペシャル』は100本以上を数える。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』などがある。

石田三成は、私の好きな人物の一人です。歴史は往々にして勝者の側から語られがちですが、敗者側の歴史も見なくてはなりません。三成への批判は、関ケ原の戦いで家康の敵だったがゆえの“言われよう”なのです。

三成は、まさに敗者であり、徳川に刃向かった悪役として扱われることが多いですが、三成ほど企画力に富み、実行力を伴った人物は少ない。極めて優秀な官僚だったけれども、決して怜悧な人物ではなかったのです。豊臣家のために生きるという志は死ぬまでブレませんでした。