2016年に開幕したプロバスケットボールリーグ「Bリーグ」。アメリカのプロスポーツリーグの運営を参考に、市場規模は飛躍的に拡大している。豪腕・川淵三郎が頼った、ビジネス戦略の責任者に会いに行った――。
ジャーナリストの田原総一朗氏とB.LEAGUE事務局長 葦原一正氏

中3で決心した、スポーツビジネス挑戦

【田原】葦原さんは何かスポーツをやられていたんですか?

【葦原】海城高校では野球部でした。だいたい都予選の3回戦くらいで敗退するレベルで、最初はレギュラーだったものの、最後は控え選手に。好きでしたが、ヘタクソでしたね。

【田原】プロになれないからスポーツビジネスに興味が?

【葦原】そうですね。中学3年生のとき、野球の専門誌でトレーナーの記事を読んで、選手じゃなくてもスポーツでご飯が食べられるということを初めて知りました。当時からプロの野球選手にはなれないとわかっていたので、自分は裏方でいこうと。

【田原】スポーツビジネスに進みたかったのに、大学院修了後はアーサー・D・リトルに。どうして外資系のコンサルティング会社に?

【葦原】いまも状況はあまり変わっていませんが、スポーツ業界で給料をもらうのはなかなか難しいんです。どこかに潜り込めたとしても、何か箔をつけておかないと他業界に転職するのは困難。そう考えて、まずコンサルティングファームに入社しました。そこでは電機メーカーの技術戦略の提案などをしていました。

【田原】2007年にオリックス・バファローズに転職して、スポーツ業界にお入りになる。経緯を教えてください。

【葦原】当時の外資系コンサルティングファームは3~5年で辞める人が多かったです。私がちょうどそうした時期を迎えていたときに、オリックス球団が社長室のスタッフを募集しているという情報をキャッチ。競争率は高かったんですが、宝くじ気分で申し込んだところ、運よく採用されました。念願叶ってうれしかったですね。もっとも、妻には猛反対されましたが……。

【田原】どうして?

【葦原】転職の話をしたのは結婚式の1カ月後。転職したら給料は半分になるし、埼玉出身の妻にとってオリックスのある神戸は馴染みがない。結婚詐欺だと怒られました(笑)。