※本稿は、向谷匡史『最強の「お父さん道」』(新泉社)の一部を抜粋・再編集したものです。
「戦わずして難を避ける」が上の上
世界一治安がいいと言われた日本も、防犯カメラの設置が当たり前になった。白昼、子どもが凶悪事件に巻き込まれたり、衆人環視の電車内で暴力を振るわれたりもする。「義を見てせざるは勇なきなり」と教えたのは今や昔。自己中心の価値観は「自己責任」という傍観者意識を生み、危機に陥っても手を差し伸べてくれる人は少ない。
治安において日本社会は、「護ってもらう」から「自分で自分の身を護る」というセルフディフェンスの時代になった。コンクリートジャングルとは言い古された言葉だが、文字どおり現代社会は、獣がそこかしこに棲息している。このことをまず、家族連れで外出するお父さんはキモに銘じていただきたい。
護身の基本は「対処」より「回避」である。いざというときに備えて対処法を念頭に置くことは大事だが、それはトラブルに見舞われたときのことで、トラブルを未然に回避することができれば対処は不要となる。そういうことから、「回避」こそ、究極の護身術ということなる。
剣豪・塚原卜伝(ぼくでん)に、こんなエピソードがある。卜伝の高弟が往来を歩いていて、馬の後ろを通ったときのことだ。馬がいきなり後ろ足で蹴り上げてきた。
「危ない!」
と通行人たちが叫ぶより早く、高弟はひらりと身をかわしたのである。
「さすが卜伝先生の高弟だ」
と、それを見ていた人たちは称賛したが、この話を聞いた卜伝は、
「未熟者め」
と言って、高弟に免許皆伝を与えなかった。
そして、後日。卜伝が往来を歩いていて馬に出くわす。高弟と同じ状況である。卜伝はどうしたか。馬のそばを避け、遠く迂回して、何事もなく通り過ぎて行ったのだった。それを見て、なぜ卜伝が高弟に免許皆伝を与えなかったか、みんなは納得する。
「君子危うきに近寄らず」
とは、こういうことを言う。