面白法人を名乗り、社員の給料もサイコロで決める会社が鎌倉にある。社員は町に点在するオフィスを行き来し、次々と新サービスを生み出すという。どのような経営方針をとっているのか。経営者に会いに行った――。
ジャーナリストの田原総一朗氏とカヤック 代表取締役CEO 柳澤大輔氏

ただ“面白い会社”をつくりたい

【田原】柳澤さんは、お生まれはどこですか?

【柳澤】父の仕事の関係で、香港で生まれました。当時は日本人が3000人くらいしかいませんでした。小学校中学年のときに、東京に戻ってきました。

【田原】学校は慶応ですね。

【柳澤】高校からです。大学は、当時3期目だった湘南藤沢キャンパス。卒業後は、ソニー・ミュージックエンタテインメントに入社しました。

【田原】どうしてその会社に?

【柳澤】当時はゲームもあったし、音楽、雑誌からぜんぶあって、何やら面白そうだなと。ソニー本体にも話を聞きに行ったのですが、カルチャーに惹かれた関連会社を選びました。

【田原】ソニーには2年いらっしゃって、1998年に独立した。起業はいつから考えていたのですか?

【柳澤】大学のころからですね。

【田原】柳澤さんの著書『鎌倉資本主義』を読みました。起業するにあたって、何をするかは決めていなくて、まず誰とするかを考えたと書いてあった。これはどういうことですか?

【柳澤】高校の同級生1人と、大学で出会ったもう1人、そして私の3人で、「この仲間で面白い会社をつくろう」ということだけ決めていたんです。何をやるかはまったくの白紙でした。

【田原】普通はやりたいことがあって、その賛同者が仲間になる。やることが決まっていないのに、どうして一緒にやろうと思えたのかな?

【柳澤】不思議ですよね。一緒にやりたいということが、なんかまとまったんです。

【田原】3人とも一回は就職したのですか?

【柳澤】就職したのは僕だけです。3人の進路はあみだくじで決めました。僕は就職、1人は大学院、もう1人は放浪です。じつは僕も大学院に合格してニューラルコンピューティングの研究をする予定だったのですが、くじで決まったからサラリーマンになりました。

【田原】ほかの2人は2年間、何をしていたの?