騒動後に閣僚となるが、「小池劇場」で失脚

ダメージは大きかったが、これで政治生命が絶たれたわけではない。閣僚になったのも、民主党幹事長になったのも「モナ男」になってからだ。細野氏は後日、「自身の問題(モナ騒動のこと)を経験し、東日本大震災の時に原発対応を経験し、危機管理の対応は十分経験できた」と自身のスキャンダルを前向きにとらえることさえあったという。

順調にキャリアアップしてきた細野氏にケチがつき始めたのが17年、小池百合子東京都知事が代表を務める「希望の党」の結党に参加した時だ。「排除発言」など、高飛車な言動が批判された小池氏の側近として振る舞ったことで党内外の批判が集中。すっかり悪役になってしまい、同年10月の衆院選で希望の党が惨敗したときには戦犯扱いされた。翌18年、無所属となり、その後は鳴かず飛ばずの日々を過ごしている。

萩生田氏「説明なしにウロウロされるのは迷惑だ」

今やうだつの上がらない中堅議員にすぎない細野氏だが、自民党内では彼の二階派入りに、激しいハレーションが起きている。岸田文雄政調会長は「二階派の人から話を何も聞いていない」と露骨に不快感を示す。萩生田光一幹事長代行もインターネット番組で「自民党政治を批判していた振る舞いが間違っていたのなら、国民に知らせるべきだ。説明なしにウロウロされるのは迷惑だ」と批判した。

最大の理由は細野氏のキャラクターだ。野党時代は論客でならし、自民党批判の先頭に立ってきた。だから細野氏にわだかまりを抱いている自民党議員は今も多い。

それに自民党内の派閥争いも加わる。二階派と岸田派の確執だ。両派は衆院山梨2区で岸田派の堀内詔子氏と二階派の長崎氏が争い、事実上の分裂選挙を繰り広げていた。先月の山梨県知事選では、衆院選で敗れた長崎氏が出馬して堀内氏がそれを応援。「国政は堀内、県政は長崎」とすみ分けることで和解が実現したはずだった。

ところが「細野問題」が再び両派閥をいがみ合わせることになった。細野氏は静岡5区で当選を重ねているが、最近3回の選挙で議席を争ったのは自民党の吉川赳氏。この人物は岸田派のメンバーなのだ。

細野氏は「5区を離れる時は政治家を辞める時」と公言しており、自民党入りして静岡5区にこだわれば、吉川氏と自民党公認を争うことになる。収束に向かったばかりの「二階、岸田戦争」は戦場を静岡に移し、第2幕を迎えようとしているのだ。