事件当時の『週刊文春』は犯人4人の実名公表に踏み切った
「野獣に人権はない」
1989年1月、東京都・足立区綾瀬で起きた「女子高生コンクリ詰め殺人事件」の犯人は、未成年の男4人だった。
被害者を誘拐・監禁して輪姦し、激しい暴行を加えて死なせたあげく、死体をドラム缶に入れコンクリートで固めて埋め立て地に遺棄するという“鬼畜”のような犯行であった。
被害者が美人だったこともあり、メディアは連日、彼女の顔写真と実名を出してプライバシーを執拗に報じた。
メディアスクラムのあまりのひどさに、被害者の父親がメディアに自粛を要請するという事態にまでなったのである。
一方、犯人の少年たちは「少年法」で守られ、実名を報じられなかった。だが、ここまで残虐な犯罪を行った人間を実名で報じないのはおかしいという声が高まり、『週刊文春』(1989年4/20号、以下『文春』=花田紀凱編集長)は、4人の実名公表に踏み切った。
『文春』によれば、実名公表を思い立ったのは、4月8日付の朝日新聞の「声」欄だったという。21歳の学生。
「……納得できないことは、少年たちの名前も写真もマスコミには登場しないということです。もちろん、未成年であるから伏せられているのですが、殺された女子高生は名前と写真、そして住所までも新聞に載りました。同じ未成年です。なのに殺したほうの人権は尊重され、殺されたほうの人権は無視されていいのでしょうか」
少年2人が鑑別所でポロッと喋ったのがきっかけ
『文春』の前号(4/13号)で、この事件の詳細を見てみよう。
被害者はF子さん(埼玉県立高校の3年生・17歳)。事件の1か月半ほど前から、市内のプラスチック成型工場でアルバイトを始めた。
事件の日は、15時56分に出勤して、工場を出たのは20時19分。自転車で30分ほどの自宅へ向かうが、10分ほど走ったところで、女性を物色していた18歳・無職のAと同・17歳Bの2人に遭遇してしまう。
Bが彼女の自転車を蹴り倒し、絡んできた。そこへ被害者を助けるフリをしたAがバイクに乗って現れる。
Bが怖いため、彼女はAのバイクに乗ってしまうのだ。
主犯のAは柔道の腕を期待され、高校へは推薦で入学した。だが、半年もしないうちに暴力事件を起こし、中退してしまう。
その後、女性を狙ったひったくりや強姦などを重ねていた。F子さんを監禁している間にも、2件の強姦事件を起こしていた。
事件が明るみに出たのは、婦女暴行や盗みなどで鑑別所に入っていた少年2人が、捜査員が別件で事情を聴きに行った際、警察が事件に気づいたのかと勘違いして、ポロッと喋ったのがきっかけだった。
そうでなかったらF子さんは行方不明者として処理されていたかもしれないのだ。