「自分だけは少々のことは許される」という特権意識

一般に、失いたくないものが大きいほど、そしてそれを手に入れるために犠牲にしてきたものが多いほど、喪失不安は強くなる。だから、自分にかけられた疑惑を認めれば全てを失いかねない状況では、否定し続けるしかない。

もっとも、自己保身のために否定し続けたことが、むしろ裏目に出た。福田氏は辞任に追い込まれ、財務省もセクハラ行為を認定して退職金から減給20%6カ月分を差し引く処分を行った。内田氏もアメフト部の監督だけでなく常務理事も辞任したうえ、関東学生アメフト連盟から事実上の永久追放となる「除名」処分を受けた。本人は自己保身のために否定したのだろうが、結局、真逆の結果を招いたのである。

「週刊新潮」4月19日号より
(2)強い特権意識

あくまでも否定し続けたのは、(2)強い特権意識のせいでもあるように見える。特権意識が強いと「自分は特別な人間だから、普通の人に適用されるルールであっても自分だけは適用されない」と思い込みやすいからだ。

とくに、福田氏は東京大学法学部出身で、在学中に司法試験に合格した超のつく高学歴エリートである。しかも、日本で最も頭脳優秀な人たちの集団の1つだった大蔵省に入省し、大蔵省が解体されて財務省になった後も順調に出世して、次官にまで登り詰めたのだから、特権意識を抱くのも無理はない。

こうした特権意識は、「自分だけは少々のことは許される」という思い込みにつながりやすい。実際、財務省の事務次官という特権的な地位のおかげで少々のことは許されてきたのではないか。そういう経験が積み重なった結果、女性記者に少々セクハラ発言をしても許されると思った可能性が高い。

一方、内田氏は必ずしも高学歴というわけではない。それでも、関東学生アメフト連盟が日大アメフト部の体質を「監督の言うことは絶対だった」と評したように、内田氏は絶対的存在だった。

実際、大学内の人事担当の常務理事で人事権を握っていた内田氏に「大学の職員は誰も意見を言えない」状況だったという日大関係者の証言もある。こういう状況にどっぶりつかっていると、どうしても特権意識を抱きやすい。この特権意識ゆえに「黒いものでも、自分が白と言えば白になるはず」と思い込んだからこそ、悪質タックルを選手に指示したことを否定し続けたのだろう。

(3)想像力の欠如

この2人には、(3)想像力の欠如も共通して認められる。

まず、福田氏は、辞任を表明した後も、「全体を見てくれれば(セクハラ疑惑に)該当しないとわかるはず」と主張している。この時点ではすでに「胸触っていい?」「手縛っていい?」といったセクハラ発言の音声データが公開されており、福田氏の声と酷似していた。

にもかかわらず、自分の主張を世間が信じてくれると思ったのなら、甘すぎる。こんな主張をすれば、むしろ世間の反感と怒りを買うだけなのに、そのことに思いが及ばないのは、よほど想像力が欠如していると言わざるをえない。

内田氏も、羽田空港での会見で、宮川選手への指示の有無に関する質問に対して「ここでは控えたい」「文書を出す」と繰り返したことが、被害者の選手の父親の怒りを一層かき立て、警察に被害届を出す事態になるとは、思ってもみなかったのではないか。

まして、宮川選手が記者会見で監督とコーチの指示にもとづいて反則を犯したと主張するとは、想像もしなかったはずだ。内田氏は、宮川選手の試合に出たいという気持ちにつけ込んでいたように見えるので、その宮川選手が競技から引退する決意をしてまで、監督の指示があったと証言するなど、想定外だったにちがいない。