放送法は遺物のような規定だ

続いて、東京社説は最高裁まで進んだ裁判の経過を分かりやすく書いている。面白いのは、この後のくだりだ。東京新聞の社説は、他紙に較べていつもタッチが軽いのだが、そのよさが出ている。

いきなり「契約したくない人は、どうしたらいいのだろうか」と疑問を書き、すぐに「やはり契約は必要である」と答え、「でも双方の『意思表示の合致』がないから、NHKが判決を求めて、その確定判決によって受信契約が成立する。そのような判示をした」と最高裁の判断を解説する。

さらに「だが、ちょっと待ってほしい」と呼びかけ、「民放がなかった時代はテレビを設置した時点で契約義務があるという規定は意味を持っていただろう。NHKの契約とテレビの設置は同義だったからだ。その時代の遺物のような規定をまだ存続させる意義は薄れていまいか」とも指摘する。これも実にもっともな指摘である。

続いて東京社説が書いているように、いまでは「パソコン」や「スマートフォン」、「カーナビ」でも番組が見られる。さらに「スクランブル放送」という技術もある。「受信料を払った視聴者だけに番組を提供すること」が可能なのだ。現代は放送法が生まれた時代とはまったく違う。

現代にふさわしい受信料とは何か。東京社説は最後に「受信料拒否は、報道姿勢に疑問を持つ人もいるからでもあろう。権力とどう向き合うか。不偏不党とは政治から独立している意味である。権力をチェックする公共放送であってほしい」と公共放送のあり方を強く訴えている。

公共放送の役割について自省を求める

12月7日付の朝日新聞の社説も「公共放送の使命を常に」との見出しを掲げ、次のように指摘する。

「NHK幹部が政治家と面会して意見を聞いた後、戦時下の性暴力を扱った番組内容を改変した事件。『政府が右ということを左というわけにはいかない』に象徴される、権力との緊張感を欠いた籾井勝人前会長の言動。過剰演出や経費の着服などの不祥事も一向に絶えない」
「今回の裁判でNHK側は『時の政府や政権におもねることなく不偏不党を貫き、視聴率にとらわれない放送をするには、安定財源を確保する受信料制度が不可欠だ』と主張した」

そのうえで朝日社説は「近年強まる政治家によるメディアへの介入・攻撃に抗し、この言葉どおりの報道や番組制作を真に実践しているか。職員一人ひとりが自らを省み、足元を点検する必要がある」と訴える。

東京社説と同じく、公共放送の役割についてNHKに自省を求める内容になっている。