「同時翻訳」で英字新聞の記事を書く
【三宅義和・イーオン社長】杉田敏さんはNHKラジオ「実践ビジネス英語」の講師で、ファンも大勢います。番組がスタートしたのは1987年、国鉄が民営化されてJRに名前を変えた年です。最初は「やさしいビジネス英語」というタイトルでした。私は、その2年前からイーオンに勤務していて、番組のスタートに合わせてテキストを購入し、聴き始めました。ところが、全然やさしくない(笑)。
けれども、会話のシーンを読むだけで、何となく知的レベルが上がったという感覚がありました。とても洗練された英文だったからだと思います。その理由として、杉田さんが英字新聞の記者だったということは大きいでしょうね。
【杉田敏・NHKラジオ「実践ビジネス英語」講師】青山学院大学ではESSに籍を置き、ディベートに力を入れていました。討論のために、いろいろな調査をして、英語にまとめていくというプロセスが面白いわけです。それは新聞の記事を書くのと同じなんです。
最初の職場は、大学の先輩に誘われた朝日新聞の英字版「朝日イブニングニュース」。就職が決まった4年生の時からほぼ毎日出社し、記者会見に出たりインタビューを行い、署名記事も書かせてもらっていました。4年生の夏ぐらいには正社員になって、その年の冬のボーナスももらいました。
【三宅】それだけの実力があったからでしょうね。その時代の何かエピソードはありますか。
【杉田】夕刊紙なので、昼前後が記事の締め切りになります。そうすると、閣議後の官房長官の記者会見などで重要な発表があると、時間がありませんから、談話を耳で聞きながら、それをそのままタイプライターで英文の記事にしていきました。
この話を同時通訳者の國弘正雄さんにしたら「面白いね」と感心され、その頃はまだ、同時通訳も始まったばかりだったのですが、これは、いわば「同時翻訳」だという自負がありましたね。
【三宅】それはすごい。その後、アメリカに渡られて、オハイオ州立大学ジャーナリズム学部の大学院で勉強をされています。
【杉田】私を「朝日イブニングニュース」に誘ってくれた先輩が、AP通信社に転職し、米国の大学に留学したことに強い刺激を受けました。
【三宅】しかも、修士課程を1年間で終えられた。
【杉田】普通は2年間です。最初、本場アメリカのジャーナリズムスクールに集まって来る学生というのは、みんな英語が得意で「われこそは」と自信にもあふれているはずだと考えていました。その人たちに交じってマスターを取るには3年ぐらいかなと思っていたんです。
幸いなことに私の場合、学費が免除され、月に300ドルの奨学金がもらえました。その代わり週20時間、教授に代わって調査や講義をしたり採点などの手伝いをするということになっていました。
ですから、学費の苦労はしなくてすんだのですが、すでに結婚していて長女もいました。早く卒業して、仕事を探さなければという気持ちもありました。ところが、修士論文を書けば、1年で卒業できることがわかりました。そこで、必死になって論文を仕上げたわけです。