企業の不正が後を絶たないのはなぜか
神戸製鋼所で、長年にわたる製品データの改ざんが発覚し、顧客を巻き込み大きな問題となっています。また、日産自動車やSUBARU(スバル)では、完成車の検査を資格のない従業員が行っていたことが明らかになりました。こうした企業不正は、なぜ後を絶たないのでしょうか。
企業不正が発覚すると、経営陣や管理職などの非倫理性や非合理性が問われることが多いものです。しかし、日本の場合、経営陣も不正に気づかず、首謀者もあいまいなケースが多いという特徴があります。そのため、日本では、首謀者を対象とするコーポレート・ガバナンス・システムは必ずしも有効ではありません。このような首謀者なき日本企業の不正を説明する理論として最もわかりやすいのが、ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースやオリバー・ウィリアムソンが展開してきた「取引コスト理論」です。
従来の経済学では、すべての人間は「完全合理的」であり、利益を最大化するように行動するものと仮定されてきました。完全合理的な人間の世界では、すべての人間は完全に情報を収集できるため、全体合理性と個別合理性は一致し、効率性と正当性も一致します。そのため、理論的には不正は起こりません。
会計上には出てこない、見えないコスト
しかし、現実には、不正はさまざまな企業において繰り返されています。取引コスト理論では、こうした現象を説明するために、現実的な人間観に立ったアプローチを展開してきました。
取引コスト理論では、人間は完全合理的ではないが、完全に非合理でもなく、その中間にいると仮定されます。限られた情報の中でしか合理的に行動できないので、「限定合理的」です。つまり、すべての人間は、主観的に合理的に行動します。しかも、そのため、機会があれば、たとえそれが悪いことであっても、利己的利益を最大化しようとする、「機会主義的」な傾向があるものと仮定されます。
このような限定合理的で機会主義的な人間の世界では、取引をする際、相手にだまされないように用心しなければなりません。そのため、相手を観察したり、契約を交わしたり、その後も契約履行を監視するなど、取引上の無駄が発生します。これを「取引コスト」と呼びます。取引コストは、人間関係上のコストであり、会計上には出てこない、見えないコストです。しかし、私たちは、こうしたコストを認識することができます。そのため、取引コストがあまりにも高い場合、非効率な状態や不正な状態を合理的に選択するという不条理に陥る可能性があるのです。