著作権はバランスが問われる権利
クリエーターを支えるためにJASRACの存在は必要だが、人々の見る目は年々厳しくなってきた。その背景には、誰もがソーシャルメディアで発信する1億総発信時代になったことがある。これまで著作権が他人事だった者の多くが、当事者になったのだ。
デジタル化が進む現代では、人々は過去のあらゆる音源にアクセスできるようになり、世界中に向けて流通もできる。そこで著作権とJASRACの影響力も相対的に高まった。そのタイミングで発生した京大や音楽教室の事件を通して、JASRACは「われわれの自由を制限しようとする団体」として反発を受ける存在になっていった。
著作権はバランスが問われる権利である。クリエーターの収入収益は守るべきだが、だからといって自由に引用もできないと、情報伝達の否定になってしまう。文化の伝達・継承は、ホモ・サピエンスの定義のひとつでもあり、人類史の主要な駆動力だった。
最も自由に情報を伝達できるはずの現代で、著作権がそれを阻害するようになったら、どんな悪影響を及ぼすか、想像するのは難しい。「文化を守るため」とJASRACは主張するが、行きすぎると文化が生まれなくなる。教室で自由に教えられなくなることで、音楽を愛し、お金を使う将来の演奏者や聴衆を失う可能性もあるだろう。
今、JASRACはわかりやすい言葉で、人々が納得する解決を示す必要があるのではないか。「答えは風に吹かれている」とディランは歌った。逆風の中にいるJASRACが、答えを見つけることを期待している。
(構成=須永貴子)