改革者から追随者へ、ソニー低迷の歴史

5000億円以上。ソニーが4月に発表した、今期(2018年3月期)の連結営業利益の見込みである。実現すれば前年比73.2%増、過去最高を記録した1998年3月期の5257億円に迫る数字となる。その理由は、デジタルカメラの画質を左右するスマートフォン向けのイメージセンサーが好調であることや、金融やゲームの事業が引き続き高い利益を出していることなどが貢献しているためだ。市場はこの業績予測を好感し、発表前の4月後半から株価も上昇している。

長らく不振にあえいでいたソニーにとって明るい話であることには違いない。業績予測が出た途端、「ソニー復活!」といった報道が目立つようになった。しかし今期の見通しだけで、判断するのは早計ではないか。ソニーの歴史を振り返りながら、私なりの視点を加えて分析してみたい。

私は1988年に証券アナリストに転身するまで、日本ビクターで7年間、ビデオの研究開発に携わった経験がある。当時はソニーのβマックス方式と日本ビクターのVHS方式で家庭用ビデオの規格を競い合った時代だ。最終的にVHS方式が勝利を収めたのは、準大手の日本ビクターには自社だけで規格を独占する力がなく、他社へのライセンシングを積極的に進めて、規格をオープンにしたのが主な理由だった。

ソニーはこの「ビデオ戦争」でまさか負けるとは思っていなかっただろう。当時のソニーといえば、社内にたくさんのイノベーターがいて、絶えず技術革新に挑戦している企業だった。まさにエレクトロニクス業界のリーダーで、私個人にとってもソニーはライバル以上に憧れの対象であった。

ところが90年代に入るとソニーは輝きを失っていく。日本の電機産業が陥りやすい3要素に直面したのだ。それは「大企業病」「リソースの分散」「アジア勢のキャッチアップ」である。

80年代までは、過去の実績にとらわれない破壊的イノベーターだった。トランジスタラジオに始まり、ウォークマン、CDウォークマンなど、ライフスタイルを一新するような製品を次々に生み出していた。しかしその破壊的イノベーションが起こらなくなる。

最も象徴的な出来事は、iPodによってアップルに市場を席巻されたことだ。カセットやCD、MDなどの回転系メディアはいずれなくなり、シリコンオーディオプレーヤーの時代になることはわかっていた。しかしウォークマンの成功が大きすぎて、自らそれを破壊することができなかったのだ。そして、スマートフォンやゲーム機でも他社の後追いが目立つようになる。ソニーはエレクトロニクス業界のリーダーから、すっかり追随者に成り下がってしまった。

こうした大企業病に加え、経営リソースが分散していった。エレクトロニクスから金融やゲーム、音楽、映画などに事業が拡散し、カンパニー制を導入して事業ごとに別会社の様相を強めていく。リソースの非効率な分散は、設備投資や研究開発投資が中途半端になり、えてして競争力を失う。

さらに追い打ちをかけたのがアジア企業の台頭だ。それまで競争相手は日本国内だけだったが、台湾や韓国の企業が先端技術をキャッチアップし、より厳しい競争にさらされていった。決定打となったのが、04年にサムスンと合弁で始めた大型液晶パネルの生産だ。これを境にサムスンはテレビ生産の技術力を一気に伸ばし、ナンバーワン企業へ成長を遂げる。現在、ソニーのイメージセンサーが好調なのは、この分野に進出する企業が国内外にまだ少ないためだと考えていい。