自分の不安より「家族の心配」をしてくれた妻
2015年6月、妻の左鎖骨下に埋め込んだ点滴ポートが故障しました。命にかかわることではないのですが、このポートは点滴による治療の苦痛を軽減するための役割を果たしています。すぐに取り替えたほうがいいのですが、手術にかかる費用は10万円。お金にまったく余裕のないわが家には大金でした。そのため、手術の日取りを決められないまま、虚しく月日が流れていったのです。
妻がパートに出ることで手術の費用の見通しはついたのですが、手術のために入院するにしても6人部屋でなければ健康保険対象外となり、差額ベッド代が発生します。そのため、6人部屋が空くその年の12月か翌年の1月に手術をすることになりました。「たった1泊なので、差額ベッド代のことは考えなくてもいい」と妻にはいったのですが、闘病とともにお金で苦労し続けた妻は、どうしても不用なお金が出ていくことに納得しませんでした。
手術をするにしても、私は「年内に手術を終え、新しい年を迎えたほうがいい。そのほうがいいスタートが切れる」と提案しましたが、妻は「12月は何かとバタバタするから、正月明けにする」といって譲りませんでした。
11月から私の仕事運が上がり、多忙な日々が12月も続くことを知っていたため、そのことを配慮しての判断だと思います。また、この時期は娘の学校や習い事で何かと忙しかったため、自分の手術で支障をきたしてはいけない、と思ったのでしょう。お金の心配さえなかったら、もっと早く手術ができ、こんな心配をさせなくてすんだのに、とつくづく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
命にかかわることのない簡単な手術とはいえ、手術をすることになって不安を覚えない人はいません。そして何よりも、半年以上も点滴治療で不要な苦痛を強いられた妻のことを思うと、自分の甲斐性のなさを痛感せずにはいられませんでした。