未経験者採用で純粋培養

私は大学を中退して、父が経営していた宇都宮乗用自動車商会に入社。その後、再建のため父とともに長野タクシーに移った。当時の社内は労使紛争が絶えず、朝礼では挨拶どころか、「この馬鹿野郎」と怒号が飛び交っていた。新入社員が入ってきても、すぐにヤル気を失ってしまう。「腐ったりんごは、周りのりんごまで腐らせる」という状態だった。

頭にきて「こんな会社、潰したほうが世の中のためだ」と父に言い放ったこともあった。父も見かねたのか、「再建に10年はかかるから付き合うことはない。自分の好きなようにやってみろ」と独立を勧めてくれた。それで1975年に中央タクシーを創業したのだ。

私は、「単なる運送業ではなく、サービス業としてのタクシー会社をつくろう」と考えていた。ところが、なかなかうまくいかない。慢性的な人手不足で、経験者の中途採用に頼らざるをえず、乗務員に染み付いたタクシー業界の悪弊を取り除くことが難しかったからである。

それでも「諦めないうちは失敗ではない」と自分に言い聞かせ、粘り強く社員教育に取り組んだ。まず人間関係をよくしようと、私が率先して「おはようございます」「お疲れさまでした」といった挨拶を社内で徹底させた。社員同士が一緒に仕事をしたときには、必ず「ありがとう」という言葉を相手に伝えさせた。

ドアの手動開閉、自己紹介のサービスを取り入れたのは創業4年目くらいから。乗務員は抵抗したが、私が助手席に乗り込んで、できるようになるまで指導した。一方、創業3年目から業務員の採用は未経験者に限定し、経営理念に沿った人材を純粋培養で育てることにした。

コップのなかの濁り水に、スポイトで少しずつ真水を入れて、透明度を高めていくようなものだったが、社員の態度は徐々に変わっていった。半信半疑だった社員たちも、実際にお客さまから褒められたりするうちに、私の言っていることを納得したのだろう。風向きが変わり始めたのは10年目くらいからだ。

今では、おもてなしをするサービス業から一歩進めて、「お客さまの人生に触れ、安全を守る仕事である」との使命感を持って取り組んでいる。病院から自宅まで300メートルしか離れていなくても、歩いて帰れずに困っているお年寄りがいる。そうしたお客さまにも寄り添うべきなのだ。