挑戦に冷たかった組織に「オヤジ」を呼び戻す

豊田がガズーの立ち上げ以来、20年にわたって見てきたのは、挑戦に冷淡な組織の姿であった。

2015年、東京モーターショーでイチローとの対談を行って以来、彼は繰り返し「バッターボックスに立つ」という表現を使い続けている。その言葉に込められた意味を汲み取れば、「トヨタガズーレーシング」を立ち上げるに至った決意とは、トヨタという企業に真正面からぶつかり、それを戦う組織、挑戦する組織へと変えていこうというものに違いない。

(上)丘の上にニュルブルク城がみえる。走行中の目印にもなっている。(中)長時間のレースになるため、キャンプをしながら観戦するファンが多い。(下)豊田社長にインタビューする筆者の稲泉連氏。

5年前、同じニュルのピットで初めて会ったとき、豊田は「中小企業のオヤジのようになりたい」と語っていた。2016年、その意図をあらためて問われた彼は言った。

「体温があって、血が通っていること。中小企業と大企業の違いは、従業員の顔が見えているか、体温が感じられ、彼らの気持ちにどれだけ寄り添うことができるかにあると思う。僕はね、大企業だからそれができないと言いたくない」

そして、豊田はそれこそが「創業家」という運命を背負った自分に、いま課せられた役割なのだという思いがあると続けるのだった。

「以前はそんなものないでしょ、と思っていました。でも、いまは意識している。創業家だからこそ、遠くまで企業の未来を見渡せる。ガズーレーシングの活動もそう。たくさんの成瀬さんのような人、たくさんの私のような人間がここから現れ、次の世代に『オヤジ』と呼ばれる彼らが、今度は成瀬さんや僕を超えて、新たな世界を作り上げていってほしい。僕は彼らが、式年遷宮のように次の棟梁を育てていくことを期待しているんです」

【著者略歴】稲泉 連(いないずみ・れん)
1979年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。本稿で触れた豊田社長と成瀬弘氏の挑戦の物語は、著書『豊田章男が愛したテストドライバー』に詳しく描かれている。
(プレジデント編集部=撮影 トヨタ自動車=写真提供)
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