経営者の身になにかあれば、それはすぐに「経営問題」に発展する。世界一の自動車会社のトップは、そのリスクを承知で、過酷なレースに出続けている。その目的は、「現場」から会社を変えること。孤立無援の状況で、「創業家」の運命を背負った男の覚悟を、ドイツで聞いた──。
「ガズー」の始まりは、今から約20年前にさかのぼる。当時、40歳の豊田は、業務改善支援室のリーダーだった。そのなかで、全国の販売店の改革として手掛けたひとつが、「ガズードットコム」という名のウェブサイトの立ち上げであった。
慶應義塾大学を卒業後、アメリカでMBAを取得した豊田が、米国の投資銀行を経てトヨタに入社したのは1984年。生産管理や営業部門を渡り歩いた後、彼は90年からの2年間、生産調査部でトヨタ生産方式(TPS)を現場で学んでいる。
部下としてガズードットコムの立ち上げにも携わった友山茂樹(現・専務役員、コネクティッドカンパニープレジデント)は「当時の販売の現場は課題の塊でした」と言う。
「たとえば顧客から注文が確定し、クルマがすでに用意されているのに、オプションも付けられないまま一週間も放置されている。そのような状態が普通だったからです」
工場での1秒単位の「カイゼン」で組み上げられた新車が、なぜ販売店で数週間も滞留しているのか。
「本当にトヨタはお客様が欲しいと思うクルマを作っているのだろうか」
豊田はそんな思いをもって、営業部門の抜本的な改革を始めた。その鍵を握るのが、中古車販売のリードタイムの短縮だった。
友山によれば、販売店にとって新車と中古車の関係は表裏一体であるという。新車販売は利幅が薄く、中古車売買への展開が前提だ。入荷した中古車の画像をウェブサイトにアップし、すぐに商談のできるシステムを作れば、中古車の滞留時間が大幅に短縮されると考えたのである。
だが、こうした業務改善支援室の改革は当初、営業部門から大きな抵抗にあった。営業・販売部門へTPSの概念が導入されるのはほぼ初めてで、「高価なクルマがインターネットで売れるわけがない」という否定的な声が大勢だったからだ。