経営者の身になにかあれば、それはすぐに「経営問題」に発展する。世界一の自動車会社のトップは、そのリスクを承知で、過酷なレースに出続けている。その目的は、「現場」から会社を変えること。孤立無援の状況で、「創業家」の運命を背負った男の覚悟を、ドイツで聞いた──。
陽が沈むに連れて、空に立ち込める雲が厚くなっていった。徐々に降り出した雨が、広大な森の中にあるコースの一部を濡らし始める。翌日に24時間耐久レース決勝を控え、予選アタックを繰り返すクルマのライトの光が、まだ辛うじて乾いている路面の上を川の流れのように過ぎ去っていく。
トヨタ自動車の社長である豊田章男が「TOYOTA GAZOO Racing」のピットに現れたのは、ドイツ北西部のサーキット・ニュルブルクリンクの空が東から夕闇に溶けつつある、そんな時間帯のことだった。
豊田は4時間ほど前に空港へ着いたばかりだったが、サーキットに併設されているホテルに到着すると、すぐさまチームのピットへ向かったようだった。長時間の移動のためだろう、目は少し赤く、表情には見るからに疲労の色があった。だが、それでもレーシングスーツに身を包んだ彼は、周囲のメカニックたちに促されるようにヘルメットを被る。それからレクサスのスポーツカー「RC」に乗り込むと、トヨタのトップテストドライバーの一人・勝又義信の運転する「IS F」に先導されてコースへ出ていった。
耐久レースのコース全長は、約5kmのグランプリコースと「ノルドシュライフェ」と呼ばれる約20kmの北コースを繋いだ約25km。特に北コースは約300mの高低差と170以上のコーナーをもつ過酷さで、世界中の自動車メーカーがテストコースとして活用している。このためニュルブルクリンクは「自動車開発の聖地」とも呼ばれる。
豊田はこの場所での耐久レースへ「ガズーレーシング」として参戦することに、10年以上にわたってこだわり続けてきた。その活動に間近で携わってきた勝又は言う。
「2016年、社長は『迷惑をかけるから、今回は乗らない』と言っていたんです。でも、10年目ですから、周りが『そんなことはない。いまからすぐに乗れます』と背中を押した。ここに来ている(トヨタの)社員たちは、みんなモリゾウさん(豊田のドライバー名)に乗ってほしいと思っている。実際、彼が乗ってからチームの士気はがらりと変わりました」
豊田はそれなりのペースでコースを2周すると、再びピットに戻ってきた。クルマを降りた彼を自動車メディアや新聞社の記者が取り囲む。
「シートが熱いね。シートヒーターがついているのかと思ったよ」
そう冗談を飛ばす表情には、サーキットやモーターショーなどで見せる悪戯(いたずら)っぽい笑みがあった――。