共働きで子供を作らない夫婦は「DINKs(Double Income No Kids)」と呼ばれている。「DINKs(仮)」のライター・月岡ツキさんは「子供を持つか持たないかという他人の選択にケチをつける人がいるのは、心のどこかで自分の選択に満足できていないからではないか」という。著書『産む気もないのに生理かよ!』(飛鳥新社)より、一部を紹介する――。(第3回/全3回)
リビングルームでリラックスしている夫婦
写真=iStock.com/kazuma seki
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「子なしもいいですよね」に隠された意味

「子供は持たない方向で行こうと思ってるんですよね」と言うと、「それ“も”いいですよね」とか、「全然“あり”ですよね」と返されることがある。私の考えを否定されているわけではないし、本当に「いいですね」「ありですね」と思ってくれているんだと思うのだけれど、何か引っかかるような気がする。

なんというか、「子供を持つ」が最良かつ最善の選択ではあるものの、そうでない選択も、今どきは受け入れられるべきですよね! 的なニュアンスを感じるのかもしれない。

「子なし」はあくまで例外というか、オプションというか、一段劣るもの、みたいな。

私の場合は「子供がいなく“ても”」幸せというより「子供がいない“ほうが”」自分にとっては幸せだと思っているからこういう選択をしているのだが、私のような人(特に女性)はあまりいないことになっている。

「子供を持たない人生でも幸せになれる」ということを宣伝しすぎてしまうと、より少子化が進んでしまうような気がして、言ってはいけないことになっているのかもしれない。

「子なし=遊んで暮らしている」?

「子供がいないと、自由でいいですよね」と言われることもある。

それも本当にそうだし、育児に拘束されずに自由を享受したい側面も大いにある。

でも、そこに「子育てに苦労せずに遊んで暮らせていいですよね」的なニュアンスを感じてしまうのは、私がひねくれすぎなのだろうか?

実際まっすぐな性格です! とは言い切れない人間であるのだが、子なし夫婦というと「遊んで暮らせる人たち」という目で見られることは少なくない。

そして「今は自由で楽しいかもしれないけど、老後に後悔するに決まってる」と内心思う人もいるだろう。

私は、子供を育てている人の幸せを全く否定しないし、なんなら「こんなに楽しい子育ての幸せを知らないなんて、もったいないな」と思えるくらいでいてほしいとさえ思う。