子供がいないからこそ、できることがある
現在、夫も私もそれぞれに、途上国や紛争地帯の子供を支援する機関に毎月寄付をしている。ソヨンがやっていることに比べたらゾウと羽虫くらいの規模の差があるが、私には彼女の気持ちがとてもよく分かる。
私のしている寄付は、サブスクと考えると安い額ではないが、実子を養うことに比べれば少ない負担だ。
偽善と言われればそうだし、子供を育てる代わりにするにはあまりに軽い行為ではあるけれど、どちらかと言うと自分が助けてもらうような気持ちでやっている。
もし自分の子供を育てていたとしたら、他の苦しい境遇にある子供のためにお金をかける余裕はないかもしれない。
しかし、子供がいない私には、同世代の平均的な子育て中の女性と比べると、お金が余分にある。それを世界の他の子供に分け与えることは、旅行や買い物や自己研鑽とはまた違った喜びを私にもたらしてくれる。
次の世代の役に立つことで救われている
私は子供を育てない自由を選んでいるけれど、完全に自分のためだけに生きるには、人生は長すぎるとも思う。他者のために、特に次の世代の、子供たちのために何かをしたい。それがエゴでも自己満足でも。
そして、社会のために声を上げたりアクションしたりするのは、私のようにある程度人生の余力がある人間こそやるべきだとも思う。
何も私は「自分がすごく素晴らしい人間である」と言いたいわけではない。
実際、何百人もの子供を大学に行かせてやれるほどの大富豪なわけではないし、ソヨンのように私財をなげうって活動しているわけでもない。私一人にできることは、たかが知れている。
ただ、子供を産んでいなくても次の世代の役に立つことはできるし、そういう行為によって他ならぬ自分自身が救われているのだ。
自分で好きで選んでいる「子供のいない人生」に、それでも時折訪れる「本当にこれでいいのか」という欠落感を、自分が次の世代の誰かの人生にほんの少しでもいい影響を及ぼしている、という事実が埋めてくれる。