情は人のエネルギー源である。喜びや怒りや不安に後押しされて人は生きている。しかし、情に流され、理を見失えば、無益に迷路をさまようか、心の病に侵されていくしかない。秩序が崩壊し、強い不安感に支配されがちな現在、リスクは非常に高くなっている。
乱世を生き抜いた偉人や名経営者の足跡をたどると、彼らが「感情のマネジメント」に秀でていることに気づく。自分の感情もそうだが、他人の感情を理解し、配慮ある行動をする能力が卓越している場合も多い。自他の感情を理解しながら、適切な対処をする力──EQ(感情知能)の高さが、彼らを成功に導いているのだ。
本連載は、実在の人物に材を取りながら、混迷の時代に必要な「生きる力」を、EQをキーにして考えようとするものである。感情というものにどう向き合い、どう対処することが必要か、その手がかりを見出していきたい。
混迷の時代、EQ力がいかに重要かを極めて鮮やかに示す歴史上の事例は、薩長同盟成立時における坂本龍馬の存在であろう。
日本の刷新に薩長の関係強化が必要だと考えていた龍馬は、両藩の商取引を仲介するなどして、少しずつその距離を縮めさせる。そして、互いに同盟の必然性を認識するに至った慶応2(1866)年1月、京都の薩摩屋敷で両藩の代表を会見させることに成功する。
しかし、その前々年の第1次長州征伐において敵味方であった両藩の間には、強い感情の「しこり」があり、事はそう簡単ではなかった。武士の面子を重んじる彼らには、不信感の拭えない相手に対して自分の側から同盟を言い出すことなど、絶対にできない相談だった。このため龍馬が数日遅れで合流したとき、双方の歩み寄りはなく、長州の桂小五郎はすでに帰り支度に入っていた。
このとき龍馬は、仲介者として、両者の「感情のしこり」を解きほぐす役割を一手に引き受ける。彼はまず相手への遺恨がより深い長州の桂から、その胸の内の「しこり」を存分に吐き出させた。そして、それをもって薩摩方との調整をおこない、彼らの側から同盟を申し出るという譲歩を引き出す(「国家の危急存亡のときだ。大義のため少しだけ面子を捨ててくれ」などと説得したと推測する)。そして事態はいっきに動き、倒幕・維新へと突き進むのである。他人の感情を理解し、その変容に向けて適切に手を打つという、龍馬の対他的なEQ能力が、歴史の扉をこじ開けた瞬間であった。
もちろん、その背後には、目的に向かって自己を的確にコントロールできる、彼の対自的なEQ能力の高さがあったと推察される。彼をよく知る長府藩士・三吉慎蔵の「声高に事を論ずる様のこともなく、至極おとなしき人なり。万事温和に事を処する人なり。但し胆力が極めて大なり」という評言は、それをもっとも的確に言い当てているのではあるまいか。