コミュニケーションは、多様な要素の複合体(発信側だけでも「伝え手」「伝える中身」「伝え方」が関係している)である。経営者の話を分析していくと、いかなるときにも有効な「普遍原理」のようなものが確かに存在している。ここでは、それぞれの経営者が見出した「伝え方」を考察してみよう。
「誤魔化せない」と思うまで質問する
現場というのは面白いもので、問題点が出てくるとまずは誤魔化そうとする。これはどこの現場も同じだ。問題の本質を隠して、「こういう難しさがある」と管理職にはわかりにくい現場の事情を並べ立て、紋切り型の説明で誤魔化そうとするのである。
それを「そうか、そうか」と対応していたら、「この程度であしらえるのか」と足元を見られてしまう。
だから「君の説明を聞いていると100%おかしくならなければいけないのに、95%はちゃんとできているじゃないか。どうして5%がダメなんだ?」などと食い下がる。しつこく食い下がるうちに、「この人には誤魔化しが利かない」と相手が悟って、そこで本当の話が出てくるのである。
本音を引き出そうと思ったら、現場とはそういう付き合い方をしなければならない。そのためには、とにかく現場に足を運ぶしかない。
「ものづくり」は現場に始まり、現場でしか解決できない。それがトヨタの伝統的な現場主義である。
私は88年に米ケンタッキー州にあるトヨタモーターマニュファクチャリングUSAの取締役社長になった。ケンタッキー工場は、トヨタが100%自己資本でつくった初の本格的な自動車生産工場だった。
遠い異国の地で英語もろくに話せない人間が、自動車をつくったこともない3000人のアメリカ人を束ねなければならない。しかも日本と違って相談する相手もあまりいない、ということで、振り返ってみれば相当のプレッシャーを感じていたように思う。実際、赴任してみると、日本とアメリカの文化の違いを痛感させられるような難しい問題が次から次へと持ち上がった。
たとえば「人を育てる」「サプライヤーを育てる」という感覚が向こうではなかなか理解してもらえない。
集団志向の日本。個人主義のアメリカ。農耕民族と狩猟民族の違いもあるのだろう。日本型の「育てる」文化に対して、アメリカでは「選ぶ」文化が根付いている。彼らにとって部下を育てることは、ライバルをつくって自分の立場を危うくすることなのである。だから人材を育て、サプライヤーとともに成長してゆくという考え方がなかなかなじまない。
(06年9月18日号当時・社長インタビュー=福田俊之)