乱世で何事かをなそうとする人間にとって、最大の財産は人望である。まだ姿もない未来へと暗く辛い道を一緒に歩く選択を、他人はそう簡単にしてはくれない。ただ1つそれを可能ならしめるのが、人望なのである。
幕末・維新期は、人望ある傑物が輩出された時代であるが、その中でも異彩を放つのが勝海舟である。何が異彩なのか。1つは彼が負けた側の人間であること。もう1つは彼が「傑物たちからの人望が厚かった」という点である。大久保忠寛から、坂本龍馬、西郷隆盛、天璋院篤姫に至るまで、立場を超えて、時代の主要人物たちから愛され、信頼されている。これは史上にも稀有なことであろう。
「愛され、信頼されている」ということは、「他者からの信頼と共感の獲得」という、リーダーの基本要件に通ずる。
リーダーの言に従うとき、メンバーはリスクを負う。その不安を超えるには、リーダーに対し、理において信頼、情において共感することが必要だが、メンバーに対し、それらを形成できる者だけが、優れたリーダーとなりうる。つまり、他者の不安に対処できる高いEQ(感情知能)を持つ者こそが真のリーダーであり、海舟もそういう人物だったと想像される。
ただ、彼が異質だったのは、組織人としてではなく、自由な人的ネットワークに生きる者としてそれを行使し、かつ彼と共振しうるだけのスケール感を持った傑物との関係において、その力をフルに発揮した点である。
たとえば西郷隆盛と初めて相まみえたとき、海舟は幕藩体制を超える国家像を語り、自分の熱烈な信奉者にさせているが、これは凡人同士では成立しえない話である。西郷の中に、藩益を超えて考える「器」があると感じたからこそ、海舟は熱心に説いたのだろうし、西郷も十分に理解した。その信頼関係が後年、江戸城無血開城を実現させるベースとなるのである。
かの篤姫、天璋院との共感関係の結び方も、スリリングである。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、天璋院を故郷の薩摩に帰すという話が持ち上がったとき、「そんなことをしたら自害する」と憤慨する天璋院に、付い合いの浅い海舟は発する。
「天璋院さまが御自害を為されば、私だって、済みませんから、その傍で腹を切ります。すると、お気の毒ですが、心中とか何とか言はれますよ」(『海舟座談』より)
言った海舟もすごいが、これで懐柔され、海舟ファンになっていく天璋院も相当である。受け手と送り手の感性が一致して初めて成立するきわどいジョークは、相手さえ間違わなければ、有効な共感形成ツールたりうるのである。
既成の秩序が崩れていく今、人望を得ることは大切だが、浅薄な「人気取り」と混同してはならない。海舟に倣うならば、自分自身が高い志を持つと同時に、その志と共振しうる有為の人材を見出し、「正心誠意」によって、その信頼と共感を勝ち取ることだ。