前例のない試みにあらゆる条件吟味
1998年秋、カナダ北の西海岸、米アラスカ州との国境に近いプリンスルパート港から、日本へ向けてチャーター船を送り出す。船には、カナダ材の丸太のほか、アラスカから筏にして船で引っ張ってきた米材も、積んでいた。
船を満載にするには、普通は木材集積地の港を順に回り、積んでいく。でも、日時もコストもかかるし、日本の各港で積み下ろす順にうまく積めない。所長をしていた米シアトル事務所の部下が、船がプリンスルパートに入港する前に積み荷を集めておき、1カ所でやればどうか、と提案した。
他の商社でも、例がない。そんなにうまく、日本向けの木材が集まるのか。集まらなければ、お客に穴が開く。でも、たまたま、アラスカで定期的に押さえていた丸太があった。では、天候は大丈夫か。外海へ出て波が荒くなれば、途中の島で止まらざるを得なくなる。でも、いい季節だった。仮にシケで遅れても、時間的にも余裕があった。これだけ好条件が揃うのは、めったにない。
自分に課せられた使命は、いい木材をなるべくコストをかけず、期日までに日本に届けることだ。「やらせてみよう」と決めた。欧州拠点の開設でアムステルダムに約1年半いて、2度目のシアトル勤務に戻って2年余り。44歳になるころだった。
事務所は所長以下、日本人や現地採用の営業マンら計9人。アラスカ州からカナダを含めてオレゴン州までが担当地域で、米ツガやヒバを中心に、日本の住宅会社が柱や梁に使う構造材などを扱う。所長の最大の仕事は、3カ月に1度の供給業者との価格交渉。木材の品質の良し悪しのほか、外為相場の変動や港湾スト、船賃の変化など、多くのリスクをとる役だ。
山林の調査や買い付ける木材の選択などは、担当者に任せた。でも、事務所でじっとはしていられない。アラスカ州のアンカレジの伐採場から近い船着き場に、寝泊まりできるキャンプがあった。ときに泊まり込み、森林所有者と一緒に山の様子をみて回り、品質管理を指示する。常に現場の状況を把握しておくことも、所長の責務と思っていた。