気をつけたのは、日本からの発注が減り、買えなくなるときだ。1つの山を丸ごと伐り出そうと思えば、山を持つ供給業者と、何年もの付き合いになる。それを、需要が落ちたとの理由で、打ち切らない。相手は、こちらをあてにして、山を買っている。だから、苦しくても、買い付け量をゼロにはしない。先々の買い付け量が減りそうなときは、早めに伝えた。突然、減れば、相手は伐り出した木材の扱いに困り、他社に安値でも売ってしまう。そうなると、次にほしいとき、もう出てこない。

部下にも「厳しいときに楽ではないが、少量でも品質がいいものを扱えば、お客の信頼も固まる」と繰り返す。おかげで、品不足のときに、ずいぶん供給業者が助けてくれた。需要が盛り上がったときに不足だけはしないように、回してもらえる下地を保つ。これも自分の役割だ、と考えていた。

「素其位而行、不願乎其外」(其の位に素して行い、其の外を願わず)――上に立つべき人は、自分のいまの地位や使命を自覚して努め、それ以外のことは考えない、との意味だ。中国の古典『中庸』にある言葉で、自らの立場をよく理解し、あれこれと外に思いを広げることを戒めている。シアトルに駐在する身にかけられた各所からの期待に応え、その使命に徹した市川流は、この教えと重なる。

1954年11月、兵庫県尼崎市に生まれる。父は会社員で、母と姉2人の5人家族。尼崎北高校から関西学院大学経済学部へと進む。卒業前は、第一次石油危機後の就職氷河期。そのなかで、世界に目が向いていて、いろいろ挑戦できる会社がいいと思い、木材・建材商社の住友林業を選ぶ。

78年4月に入社し、札幌の営業現場へ赴任する。製材品の担当で、市内の住宅材の問屋や小売店に納めた。北海道で製材された柱や梁が中心で、毎月、「山元」と呼ぶ製材工場を回り、価格交渉や品質の検査を重ねる。北海道は国有林や道有林が多く、大雪山からオホーツク沿岸、さらには稚内まで足を運ぶ。まだ独身で、北の国の豊かな自然と味を満喫した。