事業部とR&Dのギャップを埋めるには?
【立岡】現在、多くの日本企業が、「技術を取り入れたイノベーション」や、「技術への投資に対する考え方」などについて悩みを抱えています。長田さんは、研究開発の現場、本社の経営企画室、事業責任者などを経て、現在はイノベーション担当役員として研究開発のマネージメントを担当されています。事業責任者からR&D(Research and Development:研究開発)に戻られて、新たな気づき、発見はありましたか?
【長田】以前から感じていたことですが、「物事を考えるタイムスパン」がまったく違います。事業部は「四半期~数年」といったスパンで思考しますが、当社の新規開発部門であるコーポレートR&Dでは「5〜10年先の実用化」を見据えています。さらに研究開発の現場では、当初想定していた事業構造がその後変更された、開発期間中に市場環境が大きく変わってしまった、というような不測の事態も起こりうる……このようなR&D特有の難しさをあらためて感じています。
【立岡】なるほど。「先読みの射程距離」が違うということですね。そのギャップを埋めて研究開発戦略と事業戦略を連動させるには、どうすればいいのでしょうか?
【長田】最も重要なのは、「経営リーダーから研究員への依頼事項を明確にする」ということです。研究員の自由な発想や創意工夫には大いに期待する一方で、依頼事項つまり目標設定が曖昧だと、目指す方向を誤った研究活動が行われ、平気で2、3年を失うことになりかねません。例えば、「コア技術を横展開しよう」と経営リーダーが方針を出しても、「動脈」の治療に用いられている技術を「静脈」に展開したいのか、あるいは「心臓」の治療に用いられている技術を「肺」や「腎臓」など他器官に展開したいのかでまったく研究アプローチは異なります。
研究員のキャリアにおいて研究活動に使える時間は限られています。その貴重な時間を無駄にしないためにも、経営側が責任をもって依頼内容・目標設定を明確にすることが非常に重要です。一般に、経営リーダーが発するメッセージには「端的で、シャープで、分かりやすい」ことが求められますが、こと研究員に対しては、具体的に、ていねいに説明する必要があるのです。加えて、ギャップを埋めるためには、「両者を繋ぐ人」の存在も重要ですね。事業部と研究開発部門の両方で仕事をした経験を持つ人が間を繋ぐことで解決できると思います。
テルモ株式会社 取締役専務経営役員 イノベーション担当
【寺園】私はデロイトトーマツにおける先端技術の研究開発とそのビジネス化を担っている先端技術チームを率いているのですが、似たような課題意識を持っています。ビジネスのニーズに合致しない研究開発が行われないような仕組みが必要だと考えており、工夫の一つとして我々のチームは、日々お客様に接するフロント部門のコンサルタント/エンジニア・研究者が兼務する形でミドルオフィスである先端技術チームを組成しています。専任者は非常に少なく、ほとんど兼務者とすることにより、常にクライアントのビジネスニーズに即した研究・探索テーマとなるように意識しています。また、研究開発投資をする際の考え方もビジネスニーズがあるかが非常に問われます。
技術の導入時に重要視すべきことは?
【立岡】近年、特にIT、デジタル分野では、先端技術が急速に進化しています。新しい技術が次々と登場する状況について、どのようにお考えですか?
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員 ライフサイエンス&ヘルスケア担当
【長田】先端技術はもちろん重要です。ただ、医療機器の場合、実際に医療現場で使われ、「従来製品よりも効果や安全性が向上する」という成果が出てはじめてビジネスになる世界です。そのため、例えば生成AIのような最先端技術を製品に直接搭載したからといって、直ちに医療機器の安全性や医療的価値が高まるというものではありません。先端的かどうかより、その技術によって医療現場の課題が解決されるかどうかという視点のほうが重要だと考えます。ただ、生成AIが従来の開発プロセスを一変させる可能性には期待していますし、当社でもそうした取り組みはすでに始まっています。
【立岡】「メガ・ギガ・テラ・ペタ」とデータ量が指数関数的に増えていくデジタルの世界では否応なくそれに対応できる先端技術に追従せざるを得ないですが、テルモ社の扱う医療機器は人間の身体・器官という数十万年変わっていない存在が対象になる。とすると先端的で新しい技術だけが重要であるのではなく、「課題が解決できて役に立つ技術は何でも活用する」という柔軟な発想が重視されているということですね。
【長田】そこが大事ですね。加えて、医療機器業界では新規の製品やサービスはスタートアップ企業から生まれるケースが多いため、スタートアップ企業の活動を常にウォッチし、有望なスタートアップ企業に機動的に投資できるような能力も求められます。そこでテルモでは昨年、コーポレート・ベンチャー・キャピタルであるテルモベンチャーズを設立しました。今後は、自社開発を中心とした「内部成長」と、スタートアップ企業への出資を含めた「外部成長」の両輪で成長戦略を実現していく方針です。
【寺園】コンサルティングサービスを提供する中で、よく研究開発部門のお客さま等から「新しい技術を教えてほしい」という要望をいただくことが多いのですが、私は、「プロジェクトとしては、技術探索だけではなく、その技術を活用した具体的なビジネスケース/ユースケースを想定し、ビジネス観点から戦略的に技術を評価する。そこまでやらないと意味がないですよ」とアドバイスしています。本来、技術の評価とは「その技術が、自社においてどれくらいのビジネス価値を生むのか」で評価すべきものですよね。
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員 先端技術担当
イノベーション活動のグローバル化がもたらすもの
【立岡】テルモは、米国にコーポレートR&Dの拠点を新設されました。その目的、狙いについて教えてください。
【長田】一つは「マーケットの大きさ」です。世界の医療機器市場の約半分は北米が占めているのですが、テルモの北米におけるプレゼンスはまだまだ向上の余地がある。医療機器業界において、グローバル市場で戦っていくためには、米国でのプレゼンス向上は欠かせないと思っています。
もう一つは「イノベーションクラスターとしての魅力」です。現在、医療機器業界では、世界のスタートアップ企業の多くが米国から生まれています。特にカリフォルニアにはスタートアップ企業とそれを支える数多くの専門家や企業が存在しており、医療機器業界のエコシステムを形成しています。そういう環境に自ら飛び込んでいくことで、技術だけでなく人財や情報を獲得できる。あるいはスタートアップ企業とパートナーシップを結びやすくなる。そうした狙いから、カリフォルニアにコーポレートR&Dの拠点を作りました。
【立岡】なるほど。やはりR&D担当者が日本にいると不利になることがあるのでしょうか?
【長田】米国では、最新の製品を上市するために各社がしのぎを削っています。そのため、最新情報に触れる機会も情報量も圧倒的に米国のほうが多いのです。さらにスタートアップ企業と直接接する機会も多い。リモートワークの普及によって場所は問わない時代になりましたが、医療機器は「実際に触れることで、はじめて価値が理解できる製品」なので、ハンズオンでやる仕事がまだまだ多いのです。そのため、国境や時差といったディスアドバンテージをクリアするためにも現地での活動が重要なのです。
【立岡】イノベーションにおいて、日米の違いも考慮しなければなりませんよね。長田さんは、「この部分は日本にアドバンテージがある」と思えるポイントはありますか?
【長田】第一に、「注力するステージ」に大きな違いを感じます。米国では、新規性を重視する開発プロジェクトが多く、その競争が目立っています。一方、日本では、新規性も大切にしていますが、完成度を高めることを重視する傾向が強いのではないでしょうか。新しい製品のアイデアが生まれる直前を0、完成形を100とすると、米国では0から1を生み出すことに情熱を燃やします。しかし、「80」くらいまで到達すると、その先は熱が冷めていく。一方、日本の研究所・生産現場では、その80をいかにして100にするかを考える……この改善、改良に対する「情熱」や「わくわく感」は、日本のほうが圧倒的に勝っていると思います。
第二に、「投資資金に対するリターンの捉え方」が異なります。米国では、投資家の多くが「1ドル賭けて100ドル儲ける」ことを狙っている。こうした意識が、強い競争力を生み出しているんです。対して日本の場合は、「世の中のために役立つのであれば、1ドル賭けて2ドルになれば十分」と考える文化がある。どちらが良い・悪いという話ではなく文化の違いだと思いますが、さまざまな工夫を凝らして辛抱強く改善、改良をやっていくような開発は、日本のほうが向いていると思います。
【立岡】なるほど。米国で生まれた種で事業化に近いところまで持っていき、その後は日本側でブラッシュアップしていくなど、それぞれの特徴を生かした形でイノベーションをマーケットに届けるという工夫が必要なのかもしれませんね。
多様な視点がイノベーションを加速させる
【立岡】進歩が激しいこの時代、一般的な技術や理論をすべて理解し、自分自身にインストールすることは現実的ではない。とすると、まずは「これだけは絶対に解決したい」と思える課題を持って、その課題を解決するための技術にアンテナを張る。そんな「課題ファースト」の時代なんじゃないかと感じています。
【長田】私もかなり近しい考えを持っています。ニーズはシャープに深く設定したうえで、それを解決するための手段や引き出しは多いほうがいい。自分が持っている引き出しだけじゃなく、仲間や、場合によっては社外にある引き出しを使っても構わないと考えています。とにかく引き出しをたくさん持って、どう組み合わせればニーズを解決できるんだろうか? とアプローチする。そういう心構えが大事じゃないかなと思います。
【寺園】引き出しを増やすには社内外のネットワークづくりも重要ですよね。海外では研究開発の分野において、Web3の力でさまざまな社内外の研究者やビジネスパーソンとのコラボレーションを加速させてイノベーションを起こそうというDeSciという動きが活発になりつつあります。ただ、コミュニティ形成の失敗あるあるとして、パッションを持っている人がいないと動かない。やはりやる気になれる課題設定が重要なのだと思います。
米国をはじめとする海外の技術を活用しつつ、日本固有の課題に向き合うことで、世界に通用する研究開発やそれを起点としたサービス・製品開発を行っていけるはずです。我々コンサルタントとしては、まさに長田さんがおっしゃったような、業界の外側からの視点で技術を組み合わせ、日本企業から一つでも多くのイノベーションが生まれるようしっかり伴走していきたいと思います。