先の戦争の開戦を巡る物語で、もう一人、私の心に非常にしみる人物がいる。戦前最後の三井物産の常務の一人で後に民間人として初めて国鉄総裁を務めた石田禮助である。彼は、山本五十六とは別の意味で日米開戦の日を迎えた。

開戦1週間前の最後の常務会、いまでいう三井物産の経営会議では、大きな決断を迫られていた。ニューヨーク支店から本社の決断を仰ぐ電信が入ったからだ。すでにニューヨークでは邦人の引き揚げが始まっていたが、三井も支店をたたんで引き揚げるべきかどうか、決断しなければならないギリギリのタイミングだった。