超一流と一流の差は何か? グランドスラムで優勝する人は、何が違うのか? 技術・体力・戦略はもちろんだが、試合会場の観衆を味方につける力や常に世界規模でものごとを考える視野の広さも求められる。それは、スポーツ選手だけでなく、ビジネスマンにもいえることに違いない。
なぜ、ジョコビッチは人間の器が大きいのか?
私にはセルビア人の大切な友人がいる。1人は、かつてJリーグのFC東京、セレッソ大阪などの監督を務めたランコ・ポポヴィッチ(通称:ポポ)。もう1人は、清水エスパルス元監督でチームを天皇杯優勝に導いたストラヴコ・ゼムノヴィッチである。
2人とも、極めて人間的魅力を備えた人物だ。
ゼムノヴィッチには、私が翻訳をした『ジョコビッチの生まれ変わる食事』(三五館)の序文を書いていただいた。彼は、テニス世界ランキング1位で同郷のノバク・ジョコビッチの知られざる逸話をそこで紹介している。
「(かつてローマの大会で)優勝したジョコビッチは、テレビカメラの前でサインを求められました。そのとき書き加えた言葉は“Support Serbia and Bosnia”(セルビアとボスニアを支えてほしい)でした。たしかに、かつてセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナは同じ国でした。しかし、その後、血で血を洗う悲惨な戦いを経験し、要はケンカ別れをしてしまったもう関係のない他人です。それでもジョコビッチは同じ洪水に苦しむボスニアの人たちのことも忘れていなかったのです。ここが人間ノバク・ジョコビッチの大きさだと私は思います」
この“Support Serbia and Bosnia”の精神は、かつてボスニア出身のイビチャ・オシム監督(サッカー日本代表元監督)のもとで欧州のチャンピオンズリーグに出場したポポにも間違いなく根付いている。詳細は「訳者あとがき」に記したが、だからこそ、ポポは昨年、日本と韓国のために動いたのだ(編集部注:約300人が死亡した韓国のセウォル号沈没事故後、当時セレッソ大阪監督のポポがJリーグ公式戦での喪章着用を働きかけた。これを受け、筆者は昨年、セルビアが史上最悪の洪水に襲われた時にポポの祖国のためにチャリティイベントを開催し、売上を全額セルビア大使館に寄付)。
そのポポと同じスピリットを持つのがジョコビッチだ。
2011年東日本大震災の際に、真っ先に「JAPAN」という文字が入ったソックスを履いて試合に臨み、マイアミでテニスのツアープロ選手たちを集めて日本のためのチャリティサッカーイベントを実現させた。
日本から見ればセルビアはヨーロッパのちっぽけな国であろう。ということは、セルビアにとっても日本は遠い極東の島国ではないか。
以前、私が翻訳担当をした本の書店営業に回っている時、被災地の福島県出身の店員さんと会った。そこで上記のようなジョコビッチのエピソードを話すと、こう答えた。
「被災地出身者として、本当に嬉しいです。……まだまだ、錦織選手は人間的スケールでジョコビッチには及ばないのですね」
私も同感である。無論、錦織圭が利己的な勝利主義者でなく、慈善活動にも積極的であることは承知している。ただ、母国ではない他国が災害などで苦境に陥った時、すぐに手をあげてそのサポートしようとするジョコビッチの行動力と世界規模の視野の広さ、そして慈悲深さには、心の底から感服してしまう。