ギリギリまでISと交渉する
だから、ISが解放を求めていたサジダ・リシャウィ死刑囚と後藤さんとの交換にヨルダン軍のパイロット、モアズ・カサスベ中尉の引き渡しが加わったとき、日本政府は安堵したに違いない。ヨルダンが当事国になった以上、丸々任せておけばよくなったのだから。
対策本部が置かれた在ヨルダン日本大使館は夜遅くまで明かりが灯り、本部長の中山泰秀外務副大臣が車で何度も出入りしていた。しかし本当に解放交渉をしていたのか。後藤さんの殺害動画が流れた後に対策本部が現地で配った「感謝状」は、英文で書かれていた。感謝の意を表すなら、現地のアラビア語で書くのが当たり前だろう。
そもそもすべてISが悪いのか。問題の根源は、2003年3月20日の米国によるイラク攻撃であり、その後のサダム・フセイン大統領暗殺ではないのか。イラク空爆では数十万人もの市井の人が殺された。本当の大悪は米国で、ISは小悪にすぎない。
もちろんISの行いは非難されるべきだ。だがそれで、イスラムの人たちが肩身の狭い思いをするのは忍びない。
先日、リシャウィと共にヨルダンで死刑に処せられたジャド・ガルブリの父親と電話で話した。ガルブリは06年に米軍の空襲で死亡したアブムサブ・ザルカウィの側近だ。近いうち、ヨルダン政府の交渉人を務めたアブ・ムハンマド・マクディーシ師にも会う予定だ。後藤さんの遺骨を見つけるため、ぎりぎりのところまで私はIS側と交渉し、情報を求めるつもりだ。遺骨が無理なら遺髪でもいい。遺品ひとつであっても、持って帰りたい。それがイスラムと20年以上付き合いのある私の責任だと思っている。
(安積明子=構成 初沢亜利=撮影)