現代日本に生きる自然言語があった

現代の日本に、日本人の知らないまったく別の文法や言語系統を持つ“もうひとつの日本語”が存在している。それは英語やハングルのことを指しているのではない。そのような事実を知らされたら、「一体なんのこと?」と驚くのではないだろうか。かくいう私もその1人だった。

そのもうひとつの日本語とは、手話のことだ。多くの人は、手話とは単に日本語の音声を手のサインに置き換えたものと考えている。しかし、手話はれっきとした自然言語であり、その誕生は音声言語と同様に古い。手話に関する最古の記録は4世紀以前に書かれたユダヤ教の律法書に確認でき、世界各地で独自の発展を遂げてきた。もちろん細かい文法や語彙もあり、それを習得することで、哲学や心理学なども含めこの世の森羅万象を語ることができる。日本には日本手話が、アメリカにはアメリカ手話があり、世界各国の手話のほかに「方言」も存在している。

明晴学園理事長 斉藤道雄

「手話とは、日本語の音声を手のサインに置き換えただけのものだ」と健常者が誤解するのには理由がある。実は、私たちがテレビなどで目にする手話は、「日本語対応手話」と呼ばれ、実際のろう者が使う「日本手話」とは別物だからだ。手話は手だけで表すものと思われがちだが、実際は手の動きに加え、表情や目線、眉の上げ下げや一瞬の間など細かい要素から成り立っている。耳の聞こえないろう者は、聴覚の代わりに視覚が発達しているため、それらの細かい形容詞や時制の変化を読み取れるが、音声情報に多くを頼りがちな聴者には読み取るのが難しい。

現在、日本で唯一、日本手話による教育を行う斉藤道雄明晴学園理事長に、日本のろう教育について伺った。

「多くのろう学校では、いかにして正確に『あいうえお』を発音させるかに膨大な時間と労力を費やしていますが、自分が発した音のフィードバックがないのだから、いくら練習しても正確に発音できているのか本人にはわかりません。周囲が『それが正しい発音だ』といえば、そんなものかなと思う。なかには天性の勘や努力が実を結び、発話に成功する子もいますが、せいぜい全体の1、2割程度。あとの8割は手話も口話もどちらも身につかずに卒業してしまいます。でも全体の8割が落ちこぼれる教育は、非常に危険な側面を孕んでいるのではないでしょうか」

しかも「口話ができる」としても、学校の外ではなかなか通じにくい。一般の人はろう学校教師のようにゆっくりはっきりとは発音しないし、ろう者の声にも慣れていないからだ。長年の口話教育の努力の末に、「何を言っているのかわからない!」と怒られる口惜しさを何人ものろう者が経験しているのだ。