母語をしっかり教育。外国語は、その次で

ろう者に口話を強要する動きは日本に限ったものではない。その流れは1880年にミラノで開催された世界ろう教育者会議で決定的となった。ろう者も聴者同様、発話をすべきだという論調に支持が集まり、日本もその流れを追い口話教育を推進してきたが、その背景には「手話を身につけると、口話および日本語が身につかなくなる」という恐れがあった。その誤解はいまだに文科省や一部の医学者、ろう教育者の間に浸透している。だがそれは大きな誤りであると斉藤氏は指摘する。


(上)教師は生徒と同じ目線で授業。子どもたちは積極的に手を挙げる。(左下)どの教室も静寂ながら、子どもたちの生き生きとした表情と、はじけるような笑い声が印象的だ。(右下)明晴学園校舎。教室と廊下を隔てる壁は取り払われ、明るい陽光が差し込む。

「母語である日本語は下手なのに、外国語である英語が非常に素晴らしい、という人はいませんよね。第一言語(母語)のレベルを第二言語が超えることは絶対にありえないのです。

ろう者にとって、第一言語はあくまで手話であり、日本語は第二言語なのです。ろうの子たちの頭の中には、本来日本語は存在していません。彼らは夢すら手話で見ます。現在、どんな楽観的な教育者でも、従来の口話教育が成功してきたとは考えていないでしょう。口話教育だけでは正しい日本語が身につかない以上、まずは手話を第一言語としてしっかり習得し、その次に日本語や英語に進むべきなんです」

明晴学園では、幼稚部では親子ともに手話を学び始め、小学部からは日本語の授業が、中学部からは英語の授業が始まる。興味深いのは、「国語」ではなく、「日本語」の教科だということだ。教師も国語教師ではなく、外国人に日本語を教えるプロである日本語教師が就いている。

「世の中にはバイリンガル、トリリンガルと呼ばれる人たちがいます。母語に加え、第二、第三言語を自由に操れる人たちのことです。しかしその反対に、どの言語も身についていない半言語状態の人たちも残念ながら存在します。セミリンガルと呼ばれる彼らがどのようなものか、一般の人はあまり目にしないと思いますが、かなり悲惨な状況です。

どの言葉も持たないということは、下手をすればモノには名前があることや、時間の概念すら理解できていない可能性がある。そういう人たちに、社会保障を受ける権利がありますよ、と教えても、そもそも権利や社会保障という概念がわからないわけです。自分が何を知っていて、何を知らないかがわからない。それが言語がない、もしくは半言語の人の実態です。移民や外国人労働者が多く住む地域では、親の母国語も日本語も満足に喋れない2世の子たちが問題になっていますが、ろう者の間でも、残念ながらそのようなケースがあります」