処方箋(2)
拠りどころを持つ

聖書にはこんな言葉があります。「あなたは、兄弟(他人のこと)の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」。つまり「自分の欠点には気がつかないのに、他人の欠点にはよく気がつく」のが人間というものなのです。

そんなときは、自分と他人を比べるのではなく、自分とキリストを比べるのです。自分はキリストに何一つかなうところはない。キリストに比べれば何もかも不完全だと気がつけば、少しは謙虚になれるし、他人に対する期待過剰もなくなるのではないでしょうか。

普通は周囲の人たちから信頼されたいと思ったら、立派な行いをするとか、みんなの役に立つことをすればいいと考えます。しかし私はどうもそうは思わないのです。もちろん信頼を得るために努力するのはいいことです。些細な約束でもおろそかにしない人は信用されやすいでしょう。

聖書にも「小さいことに忠実な人は大きいことにも忠実。小さいことに不忠実な人は、大きいことにも不忠実」とあります。しかし本当の信頼とは、直接そういう行いによって生まれるのではありません。信頼を得るために行動するから信頼されるのではなく、信頼とはあとからついてくる付随要素にすぎないのです。

本当の信頼というのは、「自分はこう考える」というような、何か拠りどころのある生き方を持って生きていくうちに、やがて周囲の人から得られるものだと思います。私にとっての拠りどころは、聖書であり、教会の礼拝です。仕事以外の領域で何か支えを持って生きることで、自然と信頼はついてくるものではないでしょうか。

●聖書のことば
「あなたは、兄弟(他人のこと)の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。(中略)まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイによる福音書 七章)
●解説
私たちはつい自分と他人のどちらが優れているかと比較し、他人を見下げてしまうもの。まずは自分を見つめて謙虚になろう。謙虚になれば、他人に対して過剰な期待をしなくなる。すると相手との関係も改善される。
日本長老教会牧師 小形真訓
1939年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、積水化学工業入社。70年に受洗し、74年に交野キリスト教会を設立。仕事をしながら伝道師を続け、退職後に牧師に。2013年4月より鳴門キリスト教会牧師。
(長山清子=構成 小林禎弘=撮影)
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