「おやっさん(筆者注:ヤハウェのこと)……、おやっさん……、なんでワシ(筆者注:イエス・キリストのこと)を見捨てたんじゃあ!」という強烈な台詞で始まるキリスト教の新解釈史。架神恭介さんは『完全教祖マニュアル』『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』など独自の視点から宗教に関する解説本を手がける異色の作家として、コアなファン層を持つ。架神さんは、その破天荒で狂気をはらむ著作内容からは想像もつかないほど、細身のごく普通の外見、そして物静かな人物である。しかし、その脳裏には果てしない想像力が広がっているようだ。
その架神恭介さんが宗教史の本丸と言えるキリスト教史に切り込んだ意欲作が、この『仁義なきキリスト教史』だ。
本書では、イエスをはじめとする登場人物が広島弁で罵り合い、各地で抗争が勃発する。ページをめくるたびに、任侠映画のワンシーンが読者の脳裏に浮かぶことだろう。
「イエスは菅原文太さんをイメージして描きました。キリスト教史とヤクザは、精神性というよりも社会構造的に近いものがあります。既成の社会構造からのドロップアウトという点で両者の間には共通点がありますね」
最初はユーモア小説の一種と考えて読み始めた私も「実際の雰囲気もこんな感じだったのだろうな」と思わされてしまう鋭い筆運びが魅力だ。世間では聖なるものとして捉えられがちな宗教、キリスト教をここまで斬新に抉った作品を描いた動機は何だろう。
「宗教を盲目的に聖なるものだと思っている人は、宗教を盲目的に恐れます。宗教の聖性を貶めることで、かえって宗教を呪いから解き放つことが狙いです」
(村上庄吾=撮影)