とても奇妙で、不思議な気持ちにさせられる小説だ。ある町で暮らす主人公が職場を辞め、夫の実家の隣の一軒家で暮らし始める。姑や義理の祖父などとの生活には最初、何の問題もないように思えた。しかし、いつまでも続く終わりのない夏休みのような日常の中、あるとき彼女は謎の獣を見つけ、あとを追ううちに突然、「穴」へ落ちる――。
「“ヨメ”という存在にずっと不思議さを感じていたんです」
表題作で芥川賞を受賞した小山田浩子さんは言う。
「私も24歳の時に結婚したのですが、ヨメにとって夫の実家はこれまで全く関係のなかった『イエ』。もともとはよそ者であるそのヨメが、そこで子供を産み、時間が経つに連れていつの間にか一家の大黒柱になっている。それが本当に不思議で……」
小山田さんは、こうした自身をとりまくものへのほのかな違和から物語をつくる。
子供の頃から一人で本を読んでばかりいた。「友達も全くいなかったんですよ」と笑う彼女は大学卒業後、地元広島で就職するも職を転々とした。デビュー作となった前作『工場』は、派遣社員として働いた大手メーカーでの体験がもとになった。
「どんな会社で働いていても、何故か身の置き所のなさを感じてしまう。そんな自分に不信感がありました。そのなかで小説を書くようになったことは、私にとって大きな発見だったんです。書きながら、これまで言葉にならなかった思いが客観化されて、自分への割り切れなさや世の中への違和感が別の何かに昇華された気がしたんです」
以来、書くことから離れられなくなった。頭に浮かんだ断片的なエピソードをパズルのように組み合わせ、後に出来上がった作品から何かを教えられているような思いがした。「穴」もまた昨年の猛暑の夏、そんなふうにして書かれた作品だった。
「あの穴はたぶん、変化のことなのかもしれませんね。一大決心をして受け入れることもあれば、気付かないうちに引き受けていることもある、そんな変化」
主人公が穴に落ちるシーンを筆頭に、ときに表れる草木や生き物の描写に息をのんだ。
「例えば1枚の草の葉。それを表に毛が生えていて、葉の筋がこうで、と細かく描いてみると、見慣れていたはずの草がすごく変なものに見えてくる」
小山田さんの手にかかると、見慣れた世界は途端に不気味な不穏さを漂わせ、それが主人公の「身の置き所のなさ」とも重なり合う。世界を新たなものとして見せるその描写は、彼女の作品の大きな魅力だろう。