時代を超えて私たちの胸を打つ、哲学者たちの名言の数々。大ベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』の著者が厳選、“超訳”してお届けする。

愛からなされる
ことはいつも
善悪の判断の
向こう側にある。
●ニーチェ『善悪の彼岸』

実は私たちは善悪の基準というものを持っていない。善悪と言いながら、ほとんどの場合は自分の損得や欲得で判断している。だからしばしば自分に都合のいいものが善で、都合の悪いものは悪とみなされる。

一方で宗教的な善悪や社会の伝統的な善悪といったものが私たちの生活を律している。しかし、それは善悪の一つの基準であって、それが本当に正しいのかどうかはわからない。何が正しくて、何が正しくないか、などというのは時代や環境によっていかようにでも変わるからである。

ニーチェは彼が生きていた当時の世間の常識、善悪の基準だったキリスト教的な道徳がいかに薄っぺらなものであるかを見破って、『善悪の彼岸』で批判した。この一節にある「善悪の判断の向こう側」とは善悪の彼岸、要するに善悪を超えた領域という意味だ。

ニーチェは「愛からなされること」は「善悪の判断を超える」という。たとえば、愛する人を守るために嘘をつくことも、愛しいわが子を飢えさせないために食べ物を盗むことも、「(薄っぺらな)善悪の判断を超える」行為だというのだ。

人間の本能や野性をクローズアップし、極端に言えば、「愛からなされる行為なら何をしたっていい」というのがニーチェの考え方である。しかし、キリスト教的な価値観が支配的だった当時の世の中では、下品で非常識としか受け取られなかった。