聖書は古の書物ではなく、私たちの生活にも優れた示唆を与えてくれる……。大ベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』の著者が、職場や家庭でのビジネスマンの尽きぬ悩みに、独自解釈した聖書の言葉で応える。
青森市にある白取氏の自宅書斎にて。執筆や大学(青森中央学院短期大学)の講義の計画も、ここで編む。本棚には宗教・哲学に関する専門書や解説書がズラリと並ぶ。『超訳 聖書の言葉』(幻冬舎刊)を基に、氏が現代人の悩みに挑む。

聖書は1冊の書物ではない。約66巻(カトリック教会が認める聖書は全72巻)からなる文書全体を指して“聖書”と呼ぶ。

最初の聖書は紀元前1世紀頃にユダヤ教の経典として編纂された。紀元前数世紀前から口承で伝えられてきた神の言葉をヘブライ語でまとめたもので、日本では「旧約聖書」と呼ばれている。

キリスト教はこれに主にギリシャ語で記された27巻の文書(新約聖書)を紀元後2世紀頃までに加えて全体を聖書と呼び、キリスト教の聖典とした。新約聖書にはイエス・キリストの生涯や言行、弟子たちの伝道活動などが記されている。

ユダヤ教とイスラム教でも旧約聖書を聖書として認めている。日本人はキリスト教とユダヤ教、イスラム教をまったく異なる宗教と認識しがちだが、それは間違いだ。この3つの宗教は同じ根っこをもっている。ただしユダヤ教とイスラム教は、新約聖書を聖書とみなしていない。

白取氏が長年愛用する、フェデリコ・バルバロ氏訳の聖書。びっしりと付箋が貼ってある。

日本人は聖書になじみがないと思っているが、私たちの身の回りの生活習慣の中に聖書の影響はいくらでも見つけられる。1週間を7日で区切って日曜日に休むのは聖書の「創世記」に由来するし、クリスマスや母の日は聖書由来の行事だ。聖書から着想された文学や音楽、映画などは数知れない。

法の遵守や性の倫理、婚約の考え方、一夫一婦制、報復の禁止など、私たちが常識としている多くの考え方も聖書を起源としている。

聖書を無作為に開いて、行き当たった記述からインスピレーションや啓示を得る――。欧米では一般的に行われている普通の習慣だ。聖書が日常生活の中に存在しているのだ。2000年前から世界形成の礎、文化の源泉になってきた聖書は、今日も人々をインスパイアし続けている。