聖書は古の書物ではなく、私たちの生活にも優れた示唆を与えてくれる……。大ベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』の著者が、職場や家庭でのビジネスマンの尽きぬ悩みに、独自解釈した聖書の言葉で応える。

受験戦争や就職氷河期は確かにあるだろうが、進学や就職がうまくいかない理由は、その人の実力が合格や内定を勝ち取るレベルに達していない場合がほとんどだ。とはいえ、当人なりに努力している姿を見てきた親としては、「もっと頑張れ」と声をかけづらいところもあるだろう。

右は旧約聖書の「コヘレットの書」の言葉。冒頭の「世の中は理不尽なものだ」は、未来に向かって努力している若い人には少し厳しい言葉かもしれない。しかし、「物事には、それが成就する『時』というものがある」という言い回しは、思い通りの進学や就職ができずに苦労しているわが子を励ますには有効だろう。

「いずれ成就する『時』が必ずやってくる」と希望を与えながら、「成就しないうちはまだやるべきことがある」と叱咤するニュアンスも込められている。

有名な聖書の言葉である「求めよ、されば与えられん」も希望を与えそうだが、実は意味合いが違う。イエスが語ったこの言葉を「願えば叶う」と受け取って「願っても与えられないではないか」と不平を言う人は多い。しかし、聖書の注釈には「一度きりではなく、しつこく求める。相手が嫌がって差し出すまで求める」と書いてある。

「欲しいものがあるならば、求めよ。あきらめることなく求め続けよ。そうすれば与えられる。見つからないならば探せ。徹底的に探し続けよ。そうすれば発見できる。閉まっているならば、叩け。戸を叩き続けよ。そうすれば、やがては開かれる。このように、探す人が見出し、叩く人だけに戸は開かれる。求める人にだけ与えられる」(ルカによる福音書 第11章)

本当に戸を叩き続けられる人は少ない。

聖書の言葉

世の中は理不尽なものだ。
もっとも脚の速い人が
走る仕事にあてられる
わけではない。
強い男が格闘の試合に
出るわけでもない。
知恵のある者が食事に
困ったり、
賢い頭を持っているのに
富に恵まれなかったり、
真面目な学者が
不運だったりする。しかし、
物事にはそれが成就する
「時」というものがある。
その「時」と災難は
彼らすべてにひとしくおよぶ。

コヘレットの書 第9章