2004年、衆院選で落選した高市早苗氏は自民党議員の山本拓氏と電撃結婚した。大下英治『高市早苗 安倍晋三の後継者となった初の女性首相の戦い』(宝島社文庫)によると、独身時代は誰かの愛人だという怪文書を出されたこともあったという――。

※本稿は、大下英治『高市早苗 安倍晋三の後継者となった初の女性首相の戦い』(宝島社文庫)の一部を再編集したものです。

新党「自由党」結成を発表する柿沢弘治党首(前列中央)。看板を持つ高市早苗氏(後列右から2人目)、山本拓氏(後列左から1人目)=1994年4月20日、東京都千代田区の憲政記念館
写真=時事通信フォト
新党「自由党」結成を発表する柿沢弘治党首(前列中央)。看板を持つ高市早苗氏(後列右から2人目)、山本拓氏(後列左から1人目)=1994年4月20日、東京都千代田区の憲政記念館

平成15年の衆院選で落選した

平成5年に初当選して以来、10年間国会議員として活動し続けていた高市にとって、この衆院選での落選は衝撃的だった。

疎遠であった山本拓と高市の距離が縮まるのは、この落選がきっかけであった。

山本拓は、昭和27年7月7日、福井県鯖江市で生まれた。

父親の山本治は鯖江市長、福井県議会議長、自民党福井県連幹事長を歴任、父方の祖父の雅雄も福井県議会議員を務めていた。

山本は福井県議を2期務めたのち、平成2年の衆院選で福井全県区から自民党公認で出馬し、初当選を飾った。

その後、山本は、高市も初当選を飾る平成5年の衆院選でも再選された。山本は、平成6年に柿澤弘治らと自民党を離党し、自由党を結党。

羽田孜内閣で与党入りを果たす。この時、無所属だった高市も自由党に参加し、山本と行動を共にしている。

しかし、山本によると、この頃はあまり親しくなかったという。

山本が語る。

「アメリカ帰りでバリバリの政策通の彼女に対して、地方議員上がりのわたしは、ちょっと近寄りがたい印象を持っていました」

そして、山本は、新進党に入党するが、平成8年の衆院選で福井県2区から出馬し、落選。翌平成9年の福井県知事選でも落選した。

その後、山本は一度は政治家を引退し、事業家として活動していた。

が、政治の世界に再び挑戦することを決意し、平成15年の衆院選で福井県2区から自民党公認で出馬し、7年ぶりに国政復帰を果たした。

山本拓が高市の弟を引き取り…

山本が高市と結婚をしたのは、この時、山本が国政に復帰したことが縁となった。

自民党に復党した山本は、高市が所属し、かつて山本自身も籍を置いていた清和政策研究会(森派)の一員となっていた。

高市が落選したあと、山本は、高市に電話をかけて励ました。

「僕も落選経験があるので、落選直後の大変さはわかります。短期間で国会事務所の撤収や秘書の再就職先探しもしなければならないでしょうから、力になれることがあれば、遠慮なく言ってください」

山本は、その後、実際に高市の力になっている。

当選後、7年ぶりに国会議員となった山本のもとに清和会の事務局から連絡があった。

「今回の衆院選で落選された清和会の先生の秘書を、引き取っていただけないでしょうか?」

久しぶりの国政復帰となった山本にとって、永田町での勤務経験のあるベテラン秘書はとても助かる存在だ。山本は二つ返事でOKした。

「わかりました」

こうして山本は、高市の秘書を務めていた実弟の知嗣を秘書として雇うことにした。

さらに高市事務所が使っていたリース期間が残っていたファックスや、コピー機なども、その一部を山本事務所で引き取った。