国会では「個人情報保護法」改正にむけて審議が進んでいる。規制を緩和することで、AIの国産を後押しする狙いがある。医師の木村知さんは「このまま突き進むのは拙速としか言いようがない。患者の診療データが外国企業に渡るリスクも指摘されているが、真の問題はもっと根幹にある」という――。

「名前を消せば済む」という話ではない

皆さんは、診察室というなかば「密室」の空間で、信頼した医師にご自身の健康上の問題や生活の事情などを心を開いて相談するときに、その内容が「医療情報」として、他のまったく知らない第三者に伝わる可能性があるかもしれない、と考えたことがあるでしょうか。

私たち医療従事者には「守秘義務」があって、知り得た患者さんの情報をみだりに口外、公表してはなりません。論文や学会で「症例報告」などで発表する場合でも、個人が特定されぬよう細心の注意を払うことは当然です。

カルテに書き込みながら診察する医師
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そして医療において本当に大切なのは、たんに名前が消えているかどうかではありません。診療の過程で得た患者情報が、誰に、何のために、どのように使われるのかを、患者さんにきちんと説明できることです。

このように、患者さんに不利益(害)をおよぼさないこと、患者さんへの「説明責任」をまっとうすることは、医学生のころから研修医、さらには生涯にわたって欠くことなく備えていなければならない最も基本的かつ本質的な専門的実践能力、「医師のプロフェッショナリズム」に含まれるものとされています。

天秤は“事業者側”に傾いている

さて、今国会では「個人情報保護法改正案」が衆議院を通過し、成立にむけて参議院で審議されています。

政府は、AI・ビッグデータ時代に対応し、個人情報の利活用と保護のバランスを図ると説明しています。方向性そのものについては、私も異論はありません。多くの情報や知恵が蓄積されることによる医療水準の向上という恩恵も、たしかにあり得るでしょう。

しかし法案を調べていくと、そのバランスは、患者さんの個人情報・プライバシー権の保護よりも、情報を利用する事業者側の利便、つまり情報の取得や利用のしやすさに重心が偏った設計であることが見えてきます。

自分の医療情報は、まさに自分自身の「体の一部」と言えるもの。これがいったん自分の体を離れたあとに、見ず知らずの第三者にわたって利用されていく可能性も否定はできないと言われて、心穏やかにいられる人はおそらくいないでしょう。

本法案の審議のなかで、政府はそのリスクについて十分な「説明責任」を果たしていると言えるでしょうか。

本稿では、本法案が可決成立し運用されることになった場合に、そのリスクについての説明が現場で十分におこない得るのかについて、医療者の守秘義務と説明責任の観点から問うてみたいと思います。