高市早苗氏は総理就任前から保守的な右派の政治家として知られていた。大下英治著『高市早苗 安倍晋三の後継者となった初の女性首相の戦い』(宝島社文庫)によると、高市氏は元軍国少年の父親から教育勅語を教わり、戦争映画を見せられて育ったという――。

※本稿は、大下英治『高市早苗 安倍晋三の後継者となった初の女性首相の戦い』(宝島社文庫)の一部を再編集したものです。

高市首相はなぜ保守派になった?

高市早苗は、現在、故・安倍晋三の遺志を継ぐ保守派の政治家として高く評価されているが、それは生まれ育った奈良県の文化と関係があるのだろうか。

以前、筆者のインタビューに対して、高市は次のように語っている。

「子供の頃から、橿原神宮を走り回ったり、明日香村にある石舞台古墳を登ったりしていたから、皇室の歴史などを意識する環境は、自然と周りにあった気はします。近所にも奈良公園内の飛火野に存在している御料園古墳群があったり。今でも初詣の時には、神武天皇を祀っている橿原神宮に行きますからね」

高市にとって幼い頃から、神社仏閣は身近に存在するものであった。

橿原神宮(奈良県)
写真=iStock.com/MasaoTaira
橿原神宮(奈良県)

盆踊りでも、お寺の境内で開かれて、踊りと踊りの間にお坊さんが出て来て、話をしてくれるスタイルのものがある。

「7代前までのご先祖様の霊を慰めるつもりで、にぎやかに踊ってください」

そういった話をしてくれるのだ。

小さい頃から、神社仏閣になじみ、触れる機会が多いということは、自然への恐れと融和、祖先に対する崇拝と感謝、それがひいては人を思い遣る心や、謙虚さへと繋がり、その人の人間形成に深く関係してくるのかもしれない。

奈良育ちの高市にとっては、皇室のことを意識するのは当たり前の環境であった。

自宅には、仏壇だけでなく神棚もあった。こまめにお供え物をしたり、手入れをしていたから、物心付いたときから、朝一番に水とお茶とご飯を仏壇に運ぶのが高市の仕事であった。毎朝手を合わせていたという。

実家は真言宗、教育勅語を唱える

高市家は真言宗だった。

朝も手を合わせて、帰って来てからも手を合わせる。神棚も、いまだに家に帰ると、弟の知嗣が綺麗にしている。神仏への気持ちは、自然と染み込んでいる。

天皇家への関心も高かった。

「神武天皇が祀られている橿原神宮にずっと参拝してきましたから。紀元節に橿原神宮に行くたびに、必ず天皇陛下からの賜りものを持った勅使の方が来られる光景を見てきました。仰ぎ見る存在ではありますが、小さい頃から関心がありましたね」

高市の両親は、共に教育勅語の全文を暗記していた。高市も、それを幼い頃から繰り返し教えられていた。

高市も楽しそうに声を合わせて唱える両親の姿が好きであったという。

「朕惟ふに秘か皇祖皇宗国を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり秘か臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世世厥よよその美を済せるは此れ秘か国體こくたいの精華にして……」

【図表1】高市早苗首相の年表
編集部作成