小学1年で赤ん坊の弟の世話を

料理が苦手な高市だが、料理以外の家事全般は子供の頃からやっていた。今で言えばヤングケアラーだったという。

母親の和子は、弟の知嗣を産むと、すぐに仕事に復帰した。

そのため小学校一年生の高市が、弟の面倒を見ることになった。

その頃は祖父とも同居していたが、祖父は家事をしない人であった。

当時は今のように便利な紙オムツもなかった。

高市はウンチまみれになった知嗣の布オムツを外して、おしりを綺麗に拭いて、新しい布オムツに交換してやった。汚れたオムツは風呂場にタライを出して、ガシガシと洗う。幼い高市にとっては、何よりも重労働であった。

それだけでなく、知嗣の身の回りの世話は何でもやった。

粉ミルクをちょうど良い温度に温めて、弟に哺乳瓶で飲ませたり、離乳食が必要になると、リンゴをすりおろしたり、サツマイモを蒸かしてすり潰したりして、離乳食づくりにも励んだという。

ミルクを飲む赤ちゃん
写真=iStock.com/mapo
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「どうしても離乳食の材料が家にない時は、20分くらい走って駅前の薬局に行って、そこにある缶詰の離乳食を買って来たりとか。とにかく母親は産んですぐ仕事に復帰し、わたしは小学校1年生から4年生くらいまでは弟の面倒を見ていたから、その期間は友達とも遊べなかった。学校が終わるなり、家に帰って弟の世話ばかりしていましたね」

今ならヤングケアラー

知嗣が幼稚園に通うようになると、少し楽になった。

だが、今度は弟にひらがなや数字を教えてあげるようになった。

学校から帰って来ると、本の読み聞かせをしたり、自分の宿題をあと回しにして、弟の面倒を見た。

「一回子育てをやったような感じがありますね。今から考えると、紙オムツがない時代によく頑張ったなと思います」

弟が大きくなると、今度は高市は家の掃除を担当するようになった。

雑巾がけを毎晩することが日課となり、高校受験の前日でも取り組んでいた。

「今の時代なら、ヤングケアラーと言われていたかもしれませんが、当時はお姉ちゃんが下の子の面倒を見るのが当たり前でした。母親も学校の先生からもしょっちゅうビンタをされましたが、そういう時代だったんでしょうね」