この2人は人類の祖先ですから、神の戒めを破ったアダムとエヴァの遺伝子が、その子孫であるすべての人類に引き継がれているとキリスト教では考えます。そして神に反逆する行いや、神の戒めを破ろうとする心の動きそのものを、罪という言葉で表す。辞書を引くと、「罪」という言葉には「crime」と「sin」の2種類があることに気づくでしょう。crimeは外に表れた悪い行いのことですが、sinは外に表れない心の中の動きのことです。生涯crimeを犯さずにすむ人はいるかもしれませんが、sinを犯さない人は皆無です。
私は会社員時代、ある上司のことが嫌いでなりませんでした。そんなとき聖書を読んでいたら、人間の罪にはどんなものがあるか、具体的に並べてある個所があった。「親を敬わない」「人を人とも思わない」などと並んで、「妬みと殺意でいっぱいになった者」と書いてあったので、私は「いくらなんでも殺意を抱いたことはない」と思いました。しかし教会の仲間がこう言ったのです。
「小形さん、会社であの上役がいなくなればいいのにと思ったことない? それは殺意ではないですか」
そう考えれば確かに殺意ともいえるかもしれません。クリスチャンかどうかに関係なく、みな罪びと的な資質を持っている。罪びとである人間同士が、信頼しあえるわけがありません。しかしまったく絶望的でもないのがおもしろいところで、キリスト教では次のような考え方を解決策として提示しています。