明治前期と日清戦争以降で2段階の過程
1901年12月の『鉄道時報』は、「発着時間の整斉」と題し、以下のような批判記事を掲載している。
「近来私設鉄道の列車が其発着時間を誤ることは毎度のことで、時間通りに発着するは稀れで、遅着が殆んど通常になつて居り、時間の整斉を以て第一の務めとすべき駅員自らさへも遅着を普通のことと見做して敢て怪まぬ位ひである――(以下略)」
痛烈な批判を通じて窺えるのは、輸送量と路線数の増加が、鉄道の運行時間厳守への社会的圧力を生んだという事実である。これは日本に限ったエピソードではない。現代の日本の鉄道運行の正確さは、民族性に求めるべきものではなく、人口密度が高く、鉄道に求められる輸送力が大きいという社会環境からきたものと考えられる。
日本の鉄道で正確な運行時間が定着する過程は、マニュアルを厳守していた明治前期と、実需増加に応えるために効率向上がはかられた日清戦争以降という、大別して2つの段階に分かれるといえる。
前掲の鉄道批判記事を見ても、おそらく1904年に始まる日露戦争前には、一般社会でも時間厳守の観念はほぼ浸透していたと見られる。
このように鉄道を通じて見ていくと、世界的にも知られた日本人のパンクチュアリティ(時間の正確性)の歴史は、20世紀初頭に確立され、現在まで110年ほど続いていることがわかる。
学校や軍隊、工場と並び、鉄道は日本人の時間感覚形成に大きな影響を及ぼしてきた。
一般のビジネスパーソンがスケジュールを決める際の単位は、通常30分程度であろう。しかし鉄道のそれは分単位であり、1分でも遅れれば遅延とされる。バスや船、飛行機など他の輸送手段でも、鉄道ほど遅延に厳しいものはない。列車の運行の正確性は、ある意味で現代における日本社会の時間の基準であり、歴史的に見ても一般社会の時間感覚をリードしてきたといっていいかもしれない。