論理的思考力と柔軟な発想力を併せ持つ人材を育成していきたい

2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復軌道に乗せる――。国連で世界目標として採択された「ネイチャーポジティブ」に賛同する動きが世界で広がっている。そうした中、24年3月に日本の大学で初めて「ネイチャーポジティブ宣言」を発出したのが龍谷大学だ。背景には、浄土真宗が基盤の同大学が推進する「仏教SDGs」がある。すでに先端理工学部や農学部、生物多様性科学研究センター、また瀬田キャンパスに隣接する「龍谷の森」などで生物多様性保全に関わる多様な取り組みが進められる中、今回、「環境DNA分析」で世界をリードする山中裕樹教授に話を聞いた。

現状を可視化することは科学の大事な役割

――「龍谷大学 ネイチャーポジティブ宣言」の意義を山中先生はどのように捉えていますか。

山中裕樹(やまなか・ひろき)
山中裕樹(やまなか・ひろき)
龍谷大学 先端理工学部 環境生態工学課程
教授 博士(理学)
三重大学生物資源学部卒業、京都大学大学院理学研究科修了。2007年より総合地球環境学研究所研究員を務め、09年龍谷大学理工学部実験助手。同大学先端理工学部准教授、同大学生物多様性科学研究センター研究員などを経て、24年より現職。

【山中】「利己的な自分を省みて、他者を思いやり、幸せを願う」という“自省利他”。龍谷大学が掲げるこの行動哲学と生物多様性保全とはとても親和性が高いと感じます。言うまでもなく、生態系は多様な種のネットワークで成り立っている。それを健全に保つには、自らの行動が他の種や環境に与える影響を想像すること、まさに自省利他が不可欠です。生態系や種の保全というと、専門家や研究者の仕事と思われがちですが、「ネイチャーポジティブ」の考えが広がり、それが多くの人が行動する契機になることを期待しています。

――そうした中での科学者、研究者の役割についてどう考えていますか。

【山中】現状を可視化すること。これが一つ大事な役割だと思っています。一口に「生物多様性保全」と言っても、各エリアの状況や課題が分からなければ、どこにどれだけの労力や予算をかければいいかも分からない。せっかくの活動が非効率なもの、自己満足的なものになりかねません。

――山中先生は環境調査に有用な「環境DNA分析」の分野で先進的な取り組みを進めています。

【山中】 「環境DNA分析」は、生物の排せつ物や死骸などに由来して水中や土壌、空気中に存在するDNAを収集・精製し、増幅して分析する手法。生き物を捕獲するのでなく、その痕跡から現場の状況を明らかにするいわば「遺留品捜査」のようなものです。11年に当時の同僚らと、この方法で複数種の魚類をまとめて検出できるという世界初の論文も発表しました。当初、「わずかな残存DNAでの分析は荒唐無稽」とも言われましたが、今は極めて高い精度で網羅的にエリアの種を検出できることが分かっており、世界中の環境調査で用いられています。

専門家でなくても容易に環境調査に参画できる

――株式会社フィッシュパスと連携した「スマート環境DNA調査システム」プロジェクトは、中小企業と大学の協力を推進する国の「Go-Tech」事業に採択されています。

今年4月にリリース!注目の「スマート環境DNA調査システム」

 

“川の未来”を切り開いていきたい

 

代表取締役 西村成弘(にしむら・なるひろ)
西村成弘(にしむら・なるひろ)
株式会社フィッシュパス代表取締役
フィッシュパスは、遊漁券オンライン販売システムの開発、川の遠隔監視、防災、観光情報の発信など、漁協経営の安定化を支える事業を展開している。

「環境DNA分析」を知ったとき、水を採取するだけで科学的な生態系データが得られるという事実に大変驚きました。今、日本の川は気候変動や外来種の影響で生態系の変化が深刻な状況です。また、地域の川を管理する漁協は高齢化や後継者不足、水産資源の枯渇による経営悪化で存続が危ぶまれている。そうした中で、「スマート環境DNA調査システム」は大きな意義と可能性を持っていると考えています。

「これまでもさまざまな研究や技術を取り入れてきたが、今回は別次元の期待をしている」「人手不足の現状でも川の調査が十分に行える」「川の課題を解決するさまざまなアイデアが浮かんでくる」。すでに漁協からは多くの反響が寄せられています。次世代に豊かな自然環境を引き継ぐことを最終目標に、今回のプロジェクトを通じて、ぜひとも“川の未来”を切り開いていきたいと思っています。

【山中】現在、全国の河川では内水面漁業協同組合(漁協)が産卵場所の整備や稚魚の放流を行っています。釣り人などからの遊漁料が主要な収入源である漁協にとって、河川環境の悪化は死活問題ですが、効率的にその状況をつかむ手段がありませんでした。そこで「環境DNA分析」を活用しようというのが今回のプロジェクトです。専門家でなくても川の水を決められた手順でくみ取ることでサンプルを採取できるため、経済的に広域調査を行うことが可能です。

――プロジェクトを進めるに当たって大事にしていることは何ですか。

【山中】何のために調査するのかを明確にすることがまず大事なので、漁協への課題のヒアリングは徹底して行いました。また、フィッシュパスと共に採水キットや分析レポートなどを確認するスマホアプリ(上図参照)を開発しており、そこでは直感的に使えることを重視しています。

――大学と民間企業などが連携する意味はどんなところにありますか。

【山中】優れた手法や画期的な仕組みも広く活用されるには、それが経済活動に組み込まれ、お金を生む必要があります。事業に使われ利用領域が広がれば、活用のアイデアの幅も広がる。「環境DNA分析」にはサンプルを冷凍して長期保存できるという特徴もあります。タイムマシンで過去にさかのぼるような形で環境調査ができる手法は他になかなかありません。「環境DNA分析」を上手に活用して、企業が単なる社会貢献でなく、本業の中で生物多様性保全に取り組んでいく。そうした環境づくりに貢献できればうれしく思います。

――最後に龍谷大学として育成していきたい人物像を聞かせてください。

【山中】例えば今、遠い外国で採れた野菜が当たり前にスーパーに並んでいます。その裏側で環境や生態系はどんな影響を受けているか。学生には、想像力も働かせて論理的に考える力を付けてほしい。一方で研究や実証の現場では理屈を超えた判断が求められることもあります。その意味では論理的思考力と柔軟な発想力を併せ持つ人材、それによってネイチャーポジティブを後押しできる人材を一人でも多く輩出していければと考えています。