西欧人たちの「日本人は時間にルーズ」という声
「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」――。幕末、長崎海軍伝習所教官として西洋式の海軍教育を幕臣に伝えたオランダ海軍のヴィレム・カッテンディーケは、『長崎海軍伝習所の日々(日本滞在記抄)』でそう書き残している。「修理のために満潮時に届くよう注文したのに一向に届かない材木」「工場に一度顔を出したきり二度と戻ってこない職人」「正月の挨拶回りだけで2日費やす馬丁」等々、「この分では自分の望みの半分も成し遂げないで、此処を去ることになりかねない」と、暗澹たる思いが吐露されている(橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生』三元社、序文)。
時間に厳しいことをアイデンティティの一つと思い込んでいる現代の日本人ビジネスパーソンにとって、これはちょっとした驚きであろう。しかし、幕末から明治初期にかけて日本を訪れた西欧人たちの「日本人は時間にルーズ」という声は枚挙にいとまがない。当時の日本人は、現代人とはほど遠い時間感覚の持ち主だった。
ではいったいいつから、どのようにして、日本人は現在のような世界的に見ても厳しい時間規律を身につけたのだろうか。
西欧では14世紀に機械時計が登場し、15世紀にはそれにもとづいて1日を24時間に等分する「定時法」が一般社会に普及したといわれている。
一方、日本では中世から近世にかけて、日の出と日没の間を6等分する「不定時法」が用いられ、庶民にとっては、一刻(約2時間)おきに鳴る寺社の鐘が、時間を知るためのほぼ唯一の手段だった。当時の時間認識は、鐘と鐘との間隔を、自分の感覚で2分割(半刻)とした程度の大雑把なものでしかなかった。
すでに分単位で時間を捉えていた当時の欧米人に対し、日本人は約2時間単位。お雇い外国人たちが苛立ったのは、至極当然のことだった。
実はこのギャップは、意外に早く解消する。