筆者は、鉄道機関車の売り込みのために1904年から05年に日本全国を巡った米国ボールドウィン社社員の日記を閲覧する機会があった。
この日記は、鉄道で移動した際、正確な発車時間が分単位で記載され、起きた出来事についても詳細な説明がある。その中には、列車が遅延して困惑したとか、日本人のルーズさに辟易したという話は一度も出てこない。また、明治期に福岡で炭鉱業を営んでいた実業家、安川敬一郎は、1900年前後の日記に、列車の発車時刻を分単位で克明に記録している。当然のことだが、鉄道は駅への到着が1分でも遅れると、乗り過ごしてしまう。人々は分単位という感覚を、否応なく体感させられたのである。
明治維新から40年弱、1900年代の早い時期に、日本人の時間感覚は分単位となり、欧米人の目から見てもほとんど違和感が感じられないレベルに達していた。わずか一世代で劇的な変化を遂げたのである。
その要因は近代化による社会インフラの整備にある。軍隊、工場、学校、鉄道といった社会インフラが次々と出現したのだ。軍の作戦行動は時間厳守が絶対。時間を区切って児童を一斉に着席させる学校も、遅刻が頻発すれば授業は成り立たない。
とりわけ鉄道は定時運行が基本であり、時間が守られないと衝突など大事故に繋がる。新橋-横浜間鉄道が開通したばかりの頃、鉄道当局は、発車15分前には停車場に来て、切符を購入するよう乗客に促していた。発車5分前には停車場の戸が締め切られる強硬手段である。同様に当時の学校でも、授業開始の5分前に校門を締め切ることが規則で定められていたという。時間厳守の習慣を持たなかった日本国民への、明治新政府の強い姿勢がうかがえる。